関重麿(読み)せき・しげまろ

朝日日本歴史人物事典 「関重麿」の解説

関重麿

没年:明治37.7.13(1904)
生年:天保7.9.17(1836.10.26)
幕末小田原藩(神奈川県)藩士。父は美章,母は浅田氏春子。近習を経て軍事掛兼周旋方となり,明治1(1868)年鳥羽・伏見の開戦ののち藩命により神奈川に出張,武器購入に当たる。帰藩し,新政府軍への抗戦進言,同5月,林忠崇並びに遊撃隊の旧幕府軍に呼応した。のち藩論が一変し,藩庁が新政府軍に恭順の姿勢を示すや脱藩,6月,榎本武揚の旧幕府海軍に参加,咸臨丸に乗船して北上を図るが下田漂着小田原に帰って自首したが罪は問われず,佐幕をよしとする藩主よりかえって金一包を与えられた。その後足柄県,鹿児島県,茨城県などの官吏を歴任した。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関重麿」の解説

関重麿 せき-しげまろ

1836-1904 幕末-明治時代の武士,官吏。
天保(てんぽう)7年9月17日生まれ。相模(さがみ)(神奈川県)小田原藩士。軍事掛で佐幕派の中心人物。慶応4年戊辰(ぼしん)箱根戦役で藩の尊王派に敗れる。脱藩して江戸にのがれ榎本武揚(えのもと-たけあき)の旧幕府海軍に参加。維新後は茨城県相馬郡長,神奈川県足柄(あしがら)下郡長。明治37年7月13日死去。69歳。通称は荘之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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