朝日日本歴史人物事典 「関重麿」の解説
関重麿
生年:天保7.9.17(1836.10.26)
幕末の小田原藩(神奈川県)藩士。父は美章,母は浅田氏春子。近習を経て軍事掛兼周旋方となり,明治1(1868)年鳥羽・伏見の開戦ののち藩命により神奈川に出張,武器購入に当たる。帰藩し,新政府軍への抗戦を進言,同5月,林忠崇並びに遊撃隊の旧幕府軍に呼応した。のち藩論が一変し,藩庁が新政府軍に恭順の姿勢を示すや脱藩,6月,榎本武揚の旧幕府海軍に参加,咸臨丸に乗船して北上を図るが下田に漂着。小田原に帰って自首したが罪は問われず,佐幕をよしとする藩主よりかえって金一包を与えられた。その後足柄県,鹿児島県,茨城県などの官吏を歴任した。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報