日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビュヒナー」の意味・わかりやすい解説
ビュヒナー(Karl Georg Büchner)
びゅひなー
Karl Georg Büchner
(1813―1837)
ドイツの劇作家、小説家、解剖学者。ヘッセン大公領の高級医官の子としてダルムシュタット近郊に生まれる。1830年の7月革命後、フランスのストラスブール大学で2年間医学、解剖学を学び、革命運動にも深い関心をもった。ドイツのギーセン大学に移り、後進国ドイツの民衆の窮乏を座視できず、非合法の革命運動を組織、革命の主勢力とみなす農民にあてて『ヘッセンの急使』(1834)を書く。これはマルクス、エンゲルスの『共産党宣言』(1848)以前のもっとも先鋭な政治パンフレットといわれる。革命運動が発覚、逃走の費用をつくるために戯曲『ダントンの死』(1835)を執筆、ストラスブールに亡命。解剖学、哲学の研究に没頭するかたわら、小説『レンツ』(1836未完、1839刊)、戯曲『レオンスとレーナ』(1836)、『ウォイツェック』(1836未完、1879刊)などを創作する。学位論文『似鯉(にごい)の神経系』が認められ、スイスのチューリヒ大学に解剖学講師として迎えられたが、まもなくチフスのため2月19日23歳の若さで病死。その文学は20世紀初頭あたりからその真価が認められ、ことに痛烈な無神論や鋭い革命観、実存感覚や戯曲の開かれた形式などによって、ハウプトマン、ブレヒト、その他多くの現代作家に深い影響を及ぼす。
[中村英雄]
『手塚富雄・千田是也・岩淵達治監修『ゲオルク・ビューヒナー全集』全1巻(1970/新装版・2006・河出書房新社)』
ビュヒナー(Ludwig Büchner)
びゅひなー
Ludwig Büchner
(1824―1899)
ドイツの医師、哲学者。劇作家ゲオルク・ビュヒナーの弟。科学的唯物論の立場から多数の科学啓蒙(けいもう)書を著し、とくに主著『力と物質』Kraft und Stoff(1855)は唯物論のバイブルと目されて各国語に翻訳された。科学の基礎をエネルギー保存則に求め、それに進化論を取り入れた物質一元論の自然観にたつ。実在の本質規定は物理的な力にあり、その力の相互作用を表す自然法則は、人間の行為をも含めていっさいの現象を支配する、と説く。したがって、精神や生命の独自性を否定し、倫理学においても強い決定論の立場をとった。
[野家啓一 2015年3月19日]