日本大百科全書(ニッポニカ) 「日露戦争史」の意味・わかりやすい解説 日露戦争史(年表)にちろせんそうしねんぴょう 1895(明治28) 4月 三国干渉起こる1896(明治29) 6月 山県‐ロバノフ協定1898(明治31) 4月 西‐ローゼン協定1899(明治32) 3月 義和団事件1899(明治32) 9月 ヘイ米国務長官、中国の門戸開放を提議(門戸開放・機会均等政策)1900(明治33) 6月 臨時閣議、義和団鎮圧のため陸軍派遣を決定1901(明治34) 9月 義和団事件に関する最終議定書(北京議定書=辛丑条約)調印1902(明治35) 1月 日英同盟協約、ロンドンで調印1903(明治36) 4月8日 ロシア、第二次満州撤兵不履行。上海などで反対集会1903(明治36) 6月23日 御前会議、対露交渉案を決定1903(明治36) 8月9日 頭山満ら対露同志会を結成1903(明治36) 10月12日 内村鑑三、幸徳秋水、堺利彦、開戦論に転じた『萬朝報』を去る(11月15日週刊『平民新聞』創刊)1903(明治36) 12月30日 閣議、開戦準備促進を決定1904(明治37) 2月4日 御前会議、対露国交断絶、軍事行動開始を決定1904(明治37) 2月8日 仁川に上陸、旅順港奇襲1904(明治37) 2月10日 日露両国、相互に宣戦布告1904(明治37) 2月23日 日韓議定書調印1904(明治37) 2月24日 第一次旅順港閉塞作戦開始1904(明治37) 3月13日 『平民新聞』、「与露国社会党書」掲載1904(明治37) 6月20日 満州軍総司令部設置1904(明治37) 8月10日 黄海海戦1904(明治37) 8月14日 片山潜、第二インターナショナルのアムステルダム大会に出席1904(明治37) 8月19日 第三軍、旅順総攻撃開始1904(明治37) 8月22日 第一次日韓協約締結1904(明治37) 9月 与謝野晶子、「君死に給ふこと勿れ」を『明星』に発表1904(明治37) 9月4日 遼陽占領1904(明治37) 10月10日 沙河会戦1904(明治37) 12月5日 二〇三高地を占領1905(明治38) 1月1日 旅順要塞司令官ステッセル降伏1905(明治38) 1月22日 ロシアで血の日曜日事件1905(明治38) 3月1日 奉天会戦1905(明治38) 5月27日 日本海海戦1905(明治38) 6月9日 米大統領ルーズベルト、日露講和を勧告1905(明治38) 6月27日 戦艦ポチョムキン号の反乱1905(明治38) 7月29日 桂‐タフト協定成立1905(明治38) 8月10日 ポーツマスで日露講和会議開始1905(明治38) 8月12日 第二次日英同盟協約調印1905(明治38) 9月5日 日露講和条約(ポーツマス条約)調印。日比谷焼打事件1905(明治38) 11月17日 第二次日韓協約調印 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例