…和銅2年(709)6月条に薩摩・多褹両国司とみえ,10月条に薩摩隼人郡司已下188人入朝とある。薩摩半島南部吾田(あた)の地名は薩摩以前の総称にも用いられ,住人は阿多隼人(はやと)と呼ばれたが,後には薩摩隼人,甑隼人の称が頻出し,朝廷への上番の制も整えられた。《和名抄》によれば薩摩国は出水(いつみ),高城(たかき),薩摩,甑島(こしきしま),日置(ひおき),伊作(いさく),阿多,河辺(かはのへ),頴娃(えの),揖宿(いふすき),給黎(きひれ),谿山(たにやま),鹿児島(かこしま)の13郡を管し,《延喜式》も同様13郡をあげる。…
※「阿多隼人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」