日本歴史地名大系 「阿太上村」の解説
阿太上村
あたあげむら
北流する宝谷川上流に位置し、北と東は宝谷村、西は
享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」に村名がみえ、高八石余。本免は四ツ六分。天保郷帳では狩場村枝郷と注される。幕末の六郡郷村生高竈付では生高八石余、竈数一。「伯耆志」には阿多上村と記され、家数一・人数八、鑪山として阿多上山・谷吉山があり、近年無住の村であったが、狩屋原村の村民一戸が移住してきたとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報