日本歴史地名大系 「阿波国郷村田畠高辻帳」の解説
阿波国郷村田畠高辻帳(郷村高辻帳)
あわのくにごうそんでんばたたかつじちよう
一冊
成立 寛文四年
原本 国立国文学研究資料館史料館所蔵蜂須賀家文書
解説 寛文四年三月一五日付で徳島藩主松平(蜂須賀)阿波守光隆が、幕府の奏者番で大名へ渡される領地朱印状の奉行でもあった小笠原山城守・永井伊賀守に提出したもの。表紙には「阿波国十三郡郷村高辻帳」とあり、「十三郡」の文字の上に「十郡」という付箋が張られている。また板東郡・板西郡・以西郡・名東郡・那東郡・那西郡の六郡の部分に付箋や訂正のための書込みがある。阿波国十郡改覚書(蜂須賀家文書)によると、同年閏五月一日小笠原山城守に呼出され一三郡を一〇郡に改めるよう、差出した帳簿が書簡とともに返されたと書かれており、この返却された帳簿が当帳で、幕府には訂正されたものが再提出されたと思われる。「元居書抜」(同文書)によれば、同月一三日徳島藩家老賀島主水が国内に江戸からの申渡しとして一三郡を一〇郡と改める旨の触書を出している。当帳には一三郡、村数五八一、うち枝村一六四、総高一八万六千七五三石余(田方九万一千六五七石余・畠畑方九万五千九六石余)とあり、この高は近世を通じて阿波国の表高として使われた。そのほか水損・旱損・芝山等の注記がある。関係史料はほかに寛文四年の阿波国十三郡新田畠帳・阿波淡路両国在々古田出目并新田帳・阿波国淡路国出目新田畠高帳(同文書)などがある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報