以西郡
いさいぐん
鎌倉時代中期以前に名東郡から分立したとみられる郡。ほぼ現在の徳島市西部と名東郡佐那河内村にあたる。名東郡の西部に位置し、西は名西郡に接していた。分立の正確な時期および事情等については史料を欠くが、以西郡の史料上の確実な初見は元久元年(一二〇四)九月日の富田庄立券状案(春日大社文書)で、「在同以西郡、津田嶋」とみえることから、すでに鎌倉初期には分立していたと推定される。
慶長二年(一五九七)の分限帳では一宮上町・中村郷・観音寺・芝原村・上八万・下町・敷地・延命・矢野・池尻・桜間(現徳島市)、第十(現上板町)、祖母ヶ島(現藍住町)、佐那河内(現佐那河内村)などを以西郡として記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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