阿用庄(読み)あようのしよう

日本歴史地名大系 「阿用庄」の解説

阿用庄
あようのしよう

現大東町東阿用・西阿用・下阿用一帯に比定される。元弘三年(一三三三)六月二〇日の名和長年充行状(出雲土屋家古記録抄)に「阿用四分一」とみえ、隠岐から脱出した後醍醐天皇に従って京都六波羅攻めで軍功を上げた土屋次郎に対し、大東庄金坂かねさかとともに宛行われている。観応元年(一三五〇)七月八日、土屋一族らが立籠る阿用庄内の蓮花寺れんげじ城に守護方の軍勢が押寄せ、土屋氏らは降参した(同年八月日「諏訪部貞助軍忠状」三刀屋文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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