日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿賀沖北油田」の意味・わかりやすい解説
阿賀沖北油田
あがおききたゆでん
新潟市の北東海上約25キロメートル、水深約90メートルにある油田。阿賀沖北構造の第三紀中新世晩期の椎谷(しいや)層1196メートル、第三紀鮮新世初期の西山層958メートルに賦存する。1981年(昭和56)、新日本海石油開発による地震探鉱(エアガン)手法で発見された。阿賀沖油・ガス田のプラットホームから北東約9キロメートルにあたる。1984年に生産が開始された。日産6000バレルの油層が確認され、同年洋上にプラットホームと、16キロメートルのパイプラインが敷設されて、岩船(いわふね)沖油・ガス田が開発されるまで日本最大の海底油田であった。生産物処理などは日本海洋石油資源開発が受託していた。1993年(平成5)3月までに累計で原油115万キロリットル、天然ガス1億6900万立方メートルと大量に生産したが、同年7月に閉山した。洋上プラットホームは解体されて、魚礁として再利用されている。
[高津斌彰]
『日本海洋石油資源開発株式会社編・刊『日本海に油田を拓く――日本海洋石油資源開発株式会社25年史』(1996)』