日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩船沖油・ガス田」の意味・わかりやすい解説
岩船沖油・ガス田
いわふねおきゆがすでん
新潟県胎内(たいない)市沖4キロメートル、新潟市の北東30キロメートル、水深36メートルの海底の油田。岩船沖構造の第三紀鮮新世西山層下部の深度1500メートルと2000メートルとの2層に賦存する。1983年(昭和58)地震探鉱(エアガン)手法によって発見され、洋上にプラットホームをもつ。1990年(平成2)12月に生産が開始された。1992年より1998年まで県内総生産量の50%を占め、1998年の産油量は32万キロリットル、産ガス量は1億1500万立方メートル。日産合計は原油820キロリットル、ガス44万立方メートル。原油換算すると日産1260キロリットルになり、稼業中油田では国内最大の産出量である。ほかの県内油田が年産数万キロリットルであるのに対し、1992年から1996年まで年産40万キロリットル内外をほぼ安定的に維持してきた。ピーク時70万キロリットルから、1990年には50万キロリットルまで年々下がっていった県産油量を1992年には90万キロリットルとなるまでに回復・増加させたほどの油田である。岩船沖背斜構造の発見自体は1964年と古く、1983年石油資源開発(JAPEX=ジャペックス)、日本海洋資源開発、新潟石油開発(出光石油開発の子会社)に三菱瓦斯(ガス)化学が加わって、4社の12鉱区を共同鉱業権として共同開発してきた。開発時期が国際原油価格の低落と為替(かわせ)市場の円高基調など経済状況の歴史的変動期にあったことも影響して、鉱区の共同化、探鉱技術の革新、生産システムの合理化、生産物処理の新システム、韓国の現代重工業(株)によるデッキモジュール製造などの生産施設の国際入札実施等、諸種の新しい試みがなされて、画期的な油田開発を行った。従来の背斜構造における油田開発に対し、とくに層位封塞(そういふうさ)型の大陸棚油田開発の初成功例として注目されている。層位封塞型油田は水平地層や斜傾地層の含油層において、油を集積する要因である孔隙(こうげき)(すきま)率が、どちらか一方が小さくなったり、高い膠結(こうけつ)性(結着性)によってキャップロック機能がはたらき、集油を促したり、砂岩などの堆積岩層において層がしだいに薄くなり、尖滅(せんめつ)したところに集油するか、侵食などの要因によって層位が封鎖されて、集油してできた油田が層位封塞型油田とよばれる。背斜構造をなさないことから近年の探鉱技術の発展まで発見は困難であった。
[高津斌彰]
『石油資源開発株式会社編・刊『石油資源開発株式会社三十年史』(1987)』▽『日本海洋石油資源開発株式会社編・刊『日本海に油田を拓く――日本海洋石油資源開発株式会社25年史』(1996)』