陀田勘助(読み)ダダ カンスケ

20世紀日本人名事典 「陀田勘助」の解説

陀田 勘助
ダダ カンスケ

大正・昭和期の詩人 日本共産党東京地方委員長。



生年
明治35(1902)年1月15日

没年
昭和6(1931)年8月22日

出生地
栃木県下都賀郡栃木町万(現・栃木市)

本名
山本 忠平(ヤマモト チュウヘイ)

学歴〔年〕
開成中夜間部〔大正7年〕中退

経歴
大正11年村松正俊と詩のパンフ「ELEUTHERIA」を創刊したが、そのため内務省雇を免職となり、家業の洋裁業に従事。12年松本淳三らと詩誌「鎖」を発行、編集に加わった。「種蒔く人」「無産詩人」や朝日読売など新聞に革命的詩を発表し認められた。14年アナーキズム系詩誌「黒旗」を編集。昭和の初めから詩作をやめて労働運動に転じ、3年共産党に入党、東京合同労組執行委員長となり4年の4.16事件に関連して逮捕された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「陀田勘助」の解説

陀田勘助 だだ-かんすけ

1902-1931 大正-昭和時代前期の詩人,労働運動家。
明治35年1月15日生まれ。大正12年松本淳三らと「鎖」を創刊,「悍馬」「無産詩人」などに参加。アナーキズム詩人として活躍するが,のち労働運動に専念。昭和3年共産党にはいり,東京地方委員長となるが検挙され,昭和6年8月22日豊多摩刑務所で獄死。30歳。38年「陀田勘助詩集」が刊行された。栃木県出身。開成中学中退。本名山本忠平

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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