デジタル大辞泉 「朝日」の意味・読み・例文・類語
あさ‐ひ【朝日/×旭】
2 稲・リンゴ・ナシの一品種。
[類語]曙光・旭光・朝日影・朝焼け・旭日・初日・夕日・入り日・落日・斜陽・西日・落陽・夕影・残光・夕映え・夕日影・残照・残映・夕焼け
「万葉集」に見える「あさにけに(朝爾日爾、朝爾食爾)」の転じたものか。「万葉集」ではすべて「あさにけに」である。
「け」は「か(日)」の変化した形で乙類。「日に異(け)に」「月に異(け)に」の「け」は甲類で、語源や意味も別と考えられている。
富山県北東端、下新川郡(しもにいかわぐん)にある町。1954年(昭和29)泊(とまり)町と大家庄(おおえのしょう)、南保(なんぼ)、山崎、五箇庄(ごかしょう)、宮崎、境の6村が合併して朝日町と改称。同年野中村を編入。東部は白馬(しろうま)岳以北の山岳地帯で、北は日本海に面する。国道8号が通じ、北陸自動車道朝日インターチェンジがある。中心集落の泊は藩政時代親不知(おやしらず)の天険を控えた北陸道の宿場町で、新潟県境に関所跡がある。小川下流域の平野は早場米の単作地帯。宮崎は灰付きワカメの産地。あいの風とやま鉄道(旧、JR北陸本線)が通ずる泊駅近くに日東紡績の泊事業センターがある。中部山岳国立公園の外縁地帯から海岸にかけては朝日県立自然公園に指定され、城山(248メートル。宮崎城跡)から親不知(おやしらず)、黒部扇状地の海岸線の展望がよい。不動堂遺跡は国の史跡、宮崎鹿島樹叢(じゅそう)は国の天然記念物。小川上流の小川温泉元湯(もとゆ)は湯量豊富で、越道(こいど)峠を経て朝日岳(2418メートル)の登山基地。面積226.30平方キロメートル(一部境界未定)、人口1万1081(2020)。
[深井三郎]
『『朝日町誌』全3巻(1984・朝日町)』
三重県北部、三重郡にある町。桑名(くわな)市と四日市(よっかいち)市の間にある。1954年(昭和29)町制施行。町名の由来は、1890年(明治23)村名を決めるとき、天武(てんむ)天皇がこのあたりで朝日を拝したという故事(『日本書紀』)によった。町の北西半分は更新世(洪積世)の低い丘陵で、南東は沖積平野の水田地帯。集落は丘陵の裾(すそ)、旧東海道に沿って並ぶ。JR関西本線、近畿日本鉄道名古屋線、国道1号が貫通する。また、伊勢湾岸自動車道(いせわんがんじどうしゃどう)みえ朝日インターチェンジも設置されている。1938年(昭和13)に芝浦製作所(現、東芝)三重工場が誘致されて以来、住民の半数はなんらかの関係をもつ東芝の町である。国学者橘守部(たちばなもりべ)の出生地。縄生(なお)廃寺跡があり、出土した舎利具(しゃりぐ)は国の重要文化財に指定されている。1997年(平成9)には歴史博物館が開館した。面積5.99平方キロメートル、人口1万1021(2020)。
[伊藤達雄]
『『朝日町史』(1974・朝日町)』
福井県中西部、丹生郡(にゅうぐん)にあった旧町名(朝日町(ちょう))。現在は丹生郡越前(えちぜん)町北東部を占める地域。旧朝日町は1946年(昭和21)町制施行。1951年常磐(ときわ)村の大部分を編入、1955年糸生(いとう)村と合併。2005年(平成17)越前町に合併。旧町域の東部は武生(たけふ)盆地北西部の豊かな水田地帯であり、西部は丘陵性の丹生山地からなる。国道417号が通じ、福井市、鯖江(さばえ)市とバスで結ばれる。北部の西田中(にしたなか)は天王(てんのう)川の小扇状地にのる谷口集落で、鯖江と織田(おた)、越前海岸との中継ぎ商業地。機業や農機具製造も発達した。丹生高校背後の丘陵に前方後円墳2基をもつ朝日山古墳群があり、古墳公園として整備されている。泰澄(たいちょう)大師ゆかりの山岳宗教の古刹(こさつ)大谷寺(おおたんじ)もあり、石造九重塔は国の重要文化財である。
[島田正彦]
『『朝日町誌』(1976・朝日町)』
北海道中央部、上川(かみかわ)支庁(現、上川総合振興局)管内にあった旧町名(朝日町(ちょう))。現在は士別(しべつ)市の東部を占める地域。旧朝日町は1949年(昭和24)上士別(かみしべつ)村から分村、母村の東に位置するので朝日と名づけられた。1962年町制施行。2005年(平成17)士別市に合併。JR宗谷(そうや)本線士別駅からバスがある。旧町域は北見山地西斜面の林業地帯で、天塩(てしお)川最上流部を占め、耕地率は3%にすぎない。1905年(明治38)帝室御料地開放以後入植が進んだ。岩尾内ダム(いわおないだむ)は1971年完成の多目的ダムで岩尾内湖周辺は、ドライブ、キャンプ、紅葉の名所となり、天塩岳一帯は道立自然公園に指定されている。
[岡本次郎]
山形県中央部、西村山郡にある町。1954年(昭和29)宮宿(みやじゅく)町と西五百川(にしいもがわ)、大谷(おおや)の2村が合併して成立。南西部一帯を朝日山地、東部を白鷹(しらたか)丘陵に囲まれ、その間を最上川(もがみがわ)が五百川峡谷を形成して北流する。国道287号が最上川に併走する。藩政時代は庄内(しょうない)松山藩左沢(あてらざわ)領として酒井氏の支配を受け、全国有数の青苧(あおそ)の特産地であった。明治以降は養蚕農家が多かったが、現在はリンゴ、ブドウなどの果樹栽培が盛んで、ワイン工場も立地し、過疎、出稼ぎ地域からの脱却を図っている。最上川本川唯一の上郷ダム(かみごうだむ)、国指定名勝大沼の浮島、江戸中期の大庄屋佐竹家住宅(国指定重要文化財)などがあり、西部の小朝日岳、大朝日岳は磐梯(ばんだい)朝日国立公園域。朝日山地への登山口。面積196.81平方キロメートル、人口6366(2020)。
[中川 重]
『『朝日町史編集資料』1~31(1972~1994・朝日町)』▽『『朝日町史』上下(2007~2010・朝日町)』
新潟県北端、岩船郡(いわふねぐん)にあった旧村名(朝日村(むら))。2008年(平成20)村上(むらかみ)市に合併し、村上市の中東部を占める地域となる。山形県境に位置し、三面川(みおもてがわ)の4支谷に広がり、旧村域の90%は山地。国道7号が通じ、JR羽越(うえつ)本線村上駅からバスがある。集落は高根川沿いの三面盆地に集まり、米と養蚕に頼る。葉タバコ、野菜、メロンなどの園芸農業や木工工芸品、シルクフラワー、焼物(大行(だいぎょう)焼)が盛んである。三面ダム、鈴ヶ滝などの名所や、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)には越後(えちご)の「黄金(こがね)山」とうたわれた鳴海金山遺跡(なるみきんざんいせき)(高根金山遺跡)があり、県指定無形民俗文化財の大須戸(おおすど)能なども伝わり、観光地としても知られる。奥三面の集落にはマタギの風俗が残っていたが、現在は失われた。
[山崎久雄]
『『朝日村史』(1980・朝日村)』
岐阜県北東部、大野郡にあった旧村名(朝日村(むら))。現在は高山市の中南部を占める地域。旧朝日村は2005年(平成17)周辺の2町6村とともに高山市に編入。旧村域は、飛騨川(ひだがわ)(益田川(ましたがわ))の上流部にあたり、標高700メートルを超える高冷地。農業ではダイコンやソバが特産。畜産では和牛の肥育が行われている。秋神(あきがみ)川上流の鈴蘭(すずらん)高原ではゴルフ場、別荘地などが開発され、民宿経営も行われている。川沿いに秋神温泉がある。また、西部の美女高原などキャンプ場も多い。
[上島正徳]
『『朝日村誌』(1956・朝日村)』▽『『朝日村史』全2巻(1997、1998・朝日村)』
山形県西部、東田川郡にあった旧村名(朝日村(むら))。現在は鶴岡(つるおか)市の南東部を占める地域。2005年(平成17)藤島、羽黒(はぐろ)、櫛引(くしびき)、温海(あつみ)の4町とともに鶴岡市に合併した。南部は朝日山地、東部は月山(がっさん)の両山岳地帯に属し、赤川の上流一帯を占める純山村。国道112号(六十里越(ろくじゅうりごえ)街道)が通じ、山形自動車道の庄内あさひ、湯殿山(ゆどのさん)の2インターチェンジが設置されている。稲作を中心に山菜、カキなども産する。特産品に、山ブドウからつくられる月山ワインがある。旧村域の東半は磐梯(ばんだい)朝日国立公園地域に含まれ、出羽(でわ)三山信仰の中心地湯殿山や養蚕業のための特殊な多層民家で知られる田麦俣(たむぎまた)がある。豪雪地で八久和(やくわ)、荒沢、月山の3ダムを有する電源地帯でもある。
[中川 重]
『渡部留治編『朝日村誌』(1964~1969・朝日村)』▽『『朝日村史』全3巻(1980~1986・朝日村)』
長野県中西部、東筑摩郡(ひがしちくまぐん)にある村。松本盆地の南西部に位置し、西部は北アルプスの山腹で、この東方に展開する鎖(くさり)川の扇状地に耕地が広がる。標高が800メートルもあるので、レタスなどの高冷地野菜のほかブドウやブロッコリー、トマトなどの野菜栽培が盛んである。近年、松本、塩尻(しおじり)両市への通勤者の住宅が進出している。近世、洗馬郷(せばごう)といわれた。木曽義仲(きそよしなか)が京へ攻め上る際に通ったときの遺跡、義仲清水(しみず)や、厩(うまや)の跡といわれる所がある。面積70.62平方キロメートル、人口4279(2020)。
[小林寛義]
『『朝日村史』(1968・朝日村)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
山形県中央部,西村山郡の町。1954年宮宿町,西五百川村,大谷村が合体,改称。人口7856(2010)。町の東部を北流する最上川に沿った山間の町で,中心集落の宮宿は江戸時代は青苧,明治以降は生糸の集散地としてにぎわい,明治・大正期には桑市が開かれていた。南西部の大半は磐梯朝日国立公園の山岳地帯で占められており,朝日温泉,朝日川第1・第2発電所が峡谷部にある。町北部の大沼は浮島(名)で知られる景勝地で,朝日岳の登山道にあたり,古くから朝日岳信仰の基地となった浮島稲荷神社がある。町域の大部分は山林原野で,険しい地形のため耕地面積は限られるが,主産業は農業で,特にリンゴ生産が盛ん。また朝日町ワインも生産する。江戸時代の大庄屋佐竹家の住宅は重要文化財に指定されている。国道287号線が通じる。
執筆者:松原 宏
富山県北東端,下新川郡の町。人口1万3651(2010)。北は日本海に面し,東は新潟県に接する。飛驒山脈が日本海に迫り,町域の大半は山地である。越中・越後国境の要地にあり,源平争乱期には北陸宮を擁した宮崎氏が宮崎城を築いている。宮崎城は戦国期には越後の上杉氏と越中武士団の攻防の焦点となった。中心集落の泊は小川下流の低地にあり,江戸時代は北陸街道の宿場町であった。東端の境には,江戸時代に加賀藩の境関所が設けられていた。典型的な水稲単作地域であるが,宮崎浜ではワカメが採れ,漁業も行われる。南東にそびえる朝日岳(2418m)周辺は中部山岳国立公園に含まれ,小川上流に小川温泉(含重曹食塩泉,40℃)がある。縄文中期の不動堂遺跡,宮崎鹿島樹叢(天)などがあり,海岸沿いに北陸本線,国道8号線が通じ,北陸自動車道朝日インターチェンジがある。
執筆者:千葉 立也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…江戸初期の大名茶人小堀遠州が指導し,またその好みの茶具を焼いたとされる七つの窯。遠州七窯が説かれるようになるのは江戸時代後期かららしく,1854年(安政1)刊の《陶器考》では,瀬戸を除いた国焼に限り,志戸呂,上野(あがの),朝日,膳所(ぜぜ),高取,古曾部,赤膚の諸窯をあげている。しかし,朝日,古曾部,赤膚は遠州の活動期以後の窯である。…
…その部屋におわす神々は,必ず東方に顔を向ける。また,台所のかまども必ず東側につけるという例もあげられるが,これらは,東方から昇る朝日は強い活力を有するという観念に基づく。ここに,東方に原初の活力と聖性を認める彼らの世界像と住居構成のつながりの一つを見ることができる。…
…(2)口付きタバコ 1916年ころまでは50億本程度の需要であったが,第1次大戦による好景気で急速に需要が高まり,24年には230億本のピークに達した。1920年から25年までは中級品の〈敷島〉が,26年より29年までは〈朝日〉が,刻み,口付きを含め販売1位銘柄となった。(3)両切りタバコ 第1次大戦後,不況の慢性化とともにタバコには低価格品への需要の転移が激化した。…
※「朝日」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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