朝日日本歴史人物事典 「陶山南濤」の解説
陶山南濤
生年:生年不詳
江戸時代中期の漢学者。土佐(高知県)の人。名は冕,字は尚善(小膳),廷美,通称は源四郎。南濤と号す。本姓井戸氏。土佐藩士生島春竹 の養子となり,初め生島春卿と名乗った。京都に上り医学を学び,藩の医官となるが,その横柄な性格ゆえか,享保17(1732)年に士籍を削られた。その後井戸醒庵(省庵)と名乗って各地を回り,のちに陶山南濤となって,宝暦6(1756)年には丹後(京都府)宮津藩に仕えた。伊藤東涯の門に入り,特に華音(中国語),白話小説に精通し,30年間『水滸伝』を講じたという。<参考文献>宗政五十緒『日本近世文苑の研究』
(高橋昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報