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陶山南濤 すやま なんとう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

陶山南濤 すやま-なんとう

1700-1766 江戸時代中期の儒者。
元禄(げんろく)13年生まれ。土佐高知藩医。京都で伊藤東涯(とうがい)にまなぶ。中国語,中国の白話(はくわ)(口語体)小説に通じた。のち藩をはなれ,京都,大坂にあって「水滸(すいこ)伝」などを講義した。明和3年6月10日死去。67歳。本姓は井戸。名は冕(つとむ)。字(あざな)は尚善。著作に「忠義水滸伝解」「春灯闌(らん)」など。

陶山南濤 すえやま-なんとう

すやま-なんとう

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

陶山南濤

没年:明和3.6.10(1766.7.16)
生年:生年不詳
江戸時代中期の漢学者。土佐(高知県)の人。名は冕,字は尚善(小膳),廷美,通称は源四郎。南濤と号す。本姓井戸氏。土佐藩士生島春竹 の養子となり,初め生島春卿と名乗った。京都に上り医学を学び,藩の医官となるが,その横柄な性格ゆえか,享保17(1732)年に士籍を削られた。その後井戸醒庵(省庵)と名乗って各地を回り,のちに陶山南濤となって,宝暦6(1756)年には丹後(京都府)宮津藩に仕えた。伊藤東涯の門に入り,特に華音(中国語),白話小説に精通し,30年間『水滸伝』を講じたという。<参考文献>宗政五十緒『日本近世文苑の研究』

(高橋昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の陶山南濤の言及

【水滸伝物】より

…《水滸伝》普及史における冠山の功績は多大で,《水滸伝》の最初の和文訳《通俗忠義水滸伝》(1737‐90刊)も彼の労になる。ほかに陶山南濤(すやまなんとう)も《忠義水滸伝解》と題して和文訳を行った。そして1768年(明和5)北壺游(きたこゆう)作の最初の水滸伝翻案物《湘中八雄伝》が江戸で刊行された。…

※「陶山南濤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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