隼島庄(読み)はやしまのしよう

日本歴史地名大系 「隼島庄」の解説

隼島庄
はやしまのしよう

現早島を遺称地とし、一帯に比定される。中世には児島こじま湾に面していた。大炊寮熟食米料所ならびに吉備津宮神供料所、のち京都相国しようこく寺領。暦応四年(一三四一)八月七日の摂津親秀譲状(志林証文)で子息松王丸に譲られ、一二日に足利直義から安堵されている。なお元亨四年―建武三年(一三二四―三六)と推定される某申状案(壬生家文書)に、元久年間(一二〇四―〇六)に開発領主と思われる永倉氏の子孫大炊御門仲経が庄号宣旨により熟食米徴収を止めて立庄したとあり、これ以前には大炊寮領であったことは確実である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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