難波仁斎(読み)ナンバ ジンサイ

20世紀日本人名事典 「難波仁斎」の解説

難波 仁斎
ナンバ ジンサイ

昭和期の漆芸家



生年
明治36(1903)年2月27日

没年
昭和51(1976)年5月8日

出生地
岡山県岡山市栢谷

本名
難波 仁次郎

旧姓(旧名)
広瀬

学歴〔年〕
岡山工芸学校塗工科〔大正13年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本伝統工芸展日本工芸会総裁賞(第9回 昭37年度),山陽新聞社賞(第22回)〔昭和39年〕,中国文化賞(第21回),足守町文化功労賞,岡山県文化賞(第16回),勲五等双光旭日章〔昭和49年〕

経歴
大正14年京都の水木図案研究所勤務を経て、昭和2年から母校の岡山工芸学校で教鞭を執る。34年岡山大学教育学部講師。商工展、帝展、文展、日展などに出品、日本伝統工芸展には31年以来連続入選。図柄を直接描いてとぎだす“描蒟醬(かんきんま)”と呼ばれる技法を確立した。代表作に「波文鉢」「描蒟醬竹林文卓」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「難波仁斎」の解説

難波仁斎 なんば-じんさい

1903-1976 昭和時代の漆芸家。
明治36年2月27日生まれ。大正14年から京都の水木図案研究所につとめ,昭和2年郷里の岡山県にかえり,母校岡山工芸学校でおしえる。線刻のかわりに色漆でえがく描蒟醤(かききんま)の技法を確立した。昭和51年5月8日死去。73歳。旧姓は広瀬。本名は仁次郎。作品に「描蒟醤竹林文卓(もんしょく)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例