難波御蔵跡(読み)なんばおくらあと

日本歴史地名大系 「難波御蔵跡」の解説

難波御蔵跡
なんばおくらあと

[現在地名]浪速区難波中二丁目・敷津東一丁目

難波村の畑地の中に享保一八年(一七三三)建設された幕府米蔵。敷地は東西七〇間・南北一八〇間で、その周囲は道頓堀どうとんぼり川から引水して堀が掘られており、中に八棟の米蔵が建てられた(大阪市史)。難波御蔵絵図(内閣文庫蔵)によると御蔵一七棟があり、一棟三間と二〇間に及ぶ蔵もあった。

当蔵は玉造たまつくり御蔵(跡地は現東区)とともに、大坂城城米を納めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む