難波御蔵跡(読み)なんばおくらあと

日本歴史地名大系 「難波御蔵跡」の解説

難波御蔵跡
なんばおくらあと

[現在地名]浪速区難波中二丁目・敷津東一丁目

難波村の畑地の中に享保一八年(一七三三)建設された幕府米蔵。敷地は東西七〇間・南北一八〇間で、その周囲は道頓堀どうとんぼり川から引水して堀が掘られており、中に八棟の米蔵が建てられた(大阪市史)。難波御蔵絵図(内閣文庫蔵)によると御蔵一七棟があり、一棟三間と二〇間に及ぶ蔵もあった。

当蔵は玉造たまつくり御蔵(跡地は現東区)とともに、大坂城城米を納めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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