道頓堀川(読み)ドウトンボリガワ

デジタル大辞泉 「道頓堀川」の意味・読み・例文・類語

どうとんぼりがわ〔ダウトンぼりがは〕【道頓堀川】

宮本輝の小説。大阪の繁華街道頓堀を舞台に、両親を亡くした青年邦彦の姿を描く青春小説。「文芸展望」誌の昭和53年(1978)4月号に発表。前年に発表した「蛍川」「泥の河」とあわせ三部作をなす。深作欣二監督により映画化されている。

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精選版 日本国語大辞典 「道頓堀川」の意味・読み・例文・類語

どうとんぼり‐がわダウトンぼりがは【道頓堀川】

  1. ( 慶長年間(一五九六‐一六一五)、安井道頓が開削に着手し、道卜が継承して完成したもの。城主松平忠明が道頓の功を記念して名づけた ) 大阪市中央区と西区南境にあり、東横堀川木津川とを結ぶ運河。元和元年(一六一五)完成。旧称南堀。新堀。堀江川

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日本歴史地名大系 「道頓堀川」の解説

道頓堀川
どうとんぼりがわ

南区・西区の南境を西流する川。東は東横堀ひがしよこぼり川南堀詰の南区瓦屋かわらや町三丁目から始まり、西は西区南堀江みなみほりえ四丁目と浪速なにわさいわい町三丁目の境で木津きづ川に合流する。延長二・九キロで、昭和三七年(一九六二)までは西横堀川が流入していた。江戸時代の東西の長さは二二町一一間半、南北は堀の東側で二〇間、西側で三四間(天明七年「松平石見守殿御初入ニ付差出御覚書」京都大学蔵)。開削は慶長一七年(一六一二)に始まった。このとき下難波しもなんば(現浪速区など)の農地一二町九反九畝一〇歩(「古来より新建家目論見一件」成舞家文書)三津寺みつてら(現南区)の農地二町五反一畝二四歩(元和六年「三津寺畠やしきニ成申候帳」御津宮文書)などが堀と沿岸の町屋敷地に転換された。「大阪市史」は開削工事の関係者を明治一〇年(一八七七)前後に作成された「安井系譜」を主たる拠りどころとして、安井道頓と二弟治兵衛・九兵衛、親戚平野藤次とするが、寛文一〇年(一六七〇)の安井家の由緒書(安井家文書)は平野藤次・成安道頓・安井治兵衛・安井九兵衛四人とし、延宝六年(一六七八)の平野次郎兵衛の覚書(東末吉文書)では当主の親である次郎兵衛と平野藤次郎・安井九兵衛兄弟・成安道頓の五人とする。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「道頓堀川」の意味・わかりやすい解説

道頓堀川
どうとんぼりがわ

大阪府中部,大阪市の中央部にある運河。東横堀川から中央区南部を東西に流れて木津川にいたる。全長約 2.5km。慶長17(1612)年河内国久宝寺村の安井道頓が着工,道頓の死後は従弟の安井道卜(どうぼく)が事業を受け継ぎ元和1(1615)年完成。初め南堀川と称したが,江戸時代初期道頓堀川と命名された。江戸時代には横堀川,東横堀川,土佐堀川江戸堀などと結んで大阪湾に通じ,商業の発展に貢献した。今日では一部埋め立てられ,道路や駐車場に転用された部分もあるが,大阪の歴史を刻むシンボルとして保存されている。

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デジタル大辞泉プラス 「道頓堀川」の解説

道頓堀川〔映画〕

1982年公開の日本映画。監督・脚本:深作欣二、原作:宮本輝、脚本:野上龍雄。出演:松坂慶子真田広之山崎努加賀まりこ、佐藤浩市、古館ゆき、カルーセル麻紀ほか。第6回日本アカデミー賞最優秀監督賞、第37回毎日映画コンクール監督賞受賞。

道頓堀川〔曲名〕

日本のポピュラー音楽。歌は女性演歌歌手、都はるみ。1984年発売。作詞:たかたかし、作曲:岡千秋。

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世界大百科事典(旧版)内の道頓堀川の言及

【道頓堀】より

…町名としては川の北岸に中央区道頓堀がある。道頓堀川は東横堀川から分流し,木津川に流入する人工河川。通常中央区に属する部分を道頓堀川,西区を流れる部分を西道頓堀川と呼ぶ。…

※「道頓堀川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」