20世紀日本人名事典 「難波英夫」の解説
難波 英夫
ナンバ ヒデオ
大正・昭和期の社会運動家 部落解放同盟中央委員。
- 生年
- 明治21(1888)年2月5日
- 没年
- 昭和47(1972)年3月7日
- 出生地
- 岡山県
- 別名
- 筆名=熊谷 丑太
- 経歴
- 16歳で検定試験に合格、代用教員となったが、明治45年朝鮮の京城日報記者となり、大正6年帰国。7年東京時事新報社に入り、8年大阪時事新報社社会部長に転じ、部落差別問題を取り上げ、11年全国水平社創立に参加。15年東京毎夕新聞社編集局長。昭和2年労働農民党中央常任委員となり、3年日本共産党入党、第1回普選に立候補したが落選。コミンテルン第6回大会(ソ連)の国際赤色救援会決議を持ち帰った。4年「解放運動犠牲者救援運動の意義と任務」を熊谷丑太の筆名で雑誌「マルクス」に発表。同年治安維持法違反で逮捕され、8年保釈中に再び検挙された。戦後は部落解放同盟中央委員、勤労者生活擁護協会、日本労農運動救援会などの指導者となり、なかでも松川事件無罪判決運動では活躍した。著書に「救援運動物語」「南英・私の生活記録」(歌集)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報