難波野分(読み)なにわのぶん

日本歴史地名大系 「難波野分」の解説

難波野分
なにわのぶん

[現在地名]河東町倉橋くらはし

北西はら村、南東藤倉ふじくら村。寛政三年(一七九一)の開村といい、「新編会津風土記」には藤倉村の小名難波野とあり、「本村より四町三十間戌亥の方にあり、寛政三年闢く、家数六軒、東西五十八間南北一町十二間、四方田畝なり、米沢街道の西にあり」と記される。旧高旧領取調帳の高一〇一石余。明治四年(一八七一)の家数六・人数三七(人員録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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