雨潜野村
あめくぐりのむら
[現在地名]福野町雨潜
北を大門川、南を旅川に挟まれ、北は野原村。かつて高瀬神(現井波町の高瀬神社)が高麗から渡来したとき急に雨が降ってきたが、神は雨を潜っても進むと言ったのが村名の由来と伝える(「越中志徴」など)。寛永二年(一六二五)隣村江田村の十村次郎兵衛が一五〇石の新開を願出て、子弟の七郎右衛門と又三郎に下人をつけて入植させて開いた(片山家文書)。正保郷帳に雨
野新村とみえ、高一五七石余、田方七町四反余・畑方三町。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一六八石、免四ツ七歩、小物成は野役四一匁。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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