雨潜野村(読み)あめくぐりのむら

日本歴史地名大系 「雨潜野村」の解説

雨潜野村
あめくぐりのむら

[現在地名]福野町雨潜あめくぐり

北を大門だいもん川、南をたび川に挟まれ、北は野原のはら村。かつて高瀬たかせ(現井波町の高瀬神社)高麗から渡来したとき急に雨が降ってきたが、神は雨を潜っても進むと言ったのが村名の由来と伝える(「越中志徴」など)。寛永二年(一六二五)隣村江田えだ村の十村次郎兵衛が一五〇石の新開を願出て、子弟の七郎右衛門と又三郎に下人をつけて入植させて開いた(片山家文書)正保郷帳に雨野新村とみえ、高一五七石余、田方七町四反余・畑方三町。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一六八石、免四ツ七歩、小物成は野役四一匁。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む