雨畑村(読み)あめはたむら

日本歴史地名大系 「雨畑村」の解説

雨畑村
あめはたむら

[現在地名]早川町雨畑

早川入一八ヵ村の一。「甲斐国志」には「アメバタ」とある。七面しちめん山の北麓および西麓、早川最大の支流雨畑川の流域全体を村域とする。久田子くたし鳥屋とや(戸屋)於伊勢おいせ立石たていし下見原しだみはら笈平おいだいら(老平)馬場ばんば奥沢おくさわ細野ほその稲又いねまだ室草里むろぞうり長畑ながはたの一二の枝村があり(甲斐国志)、雨畑川沿いに南北四里にわたって集落が散在している。南と西は標高二〇〇〇から二五〇〇メートルの山を界して駿河国と接する。慶長古高帳に村名がみえ、高一六石余、幕府領。寛文一一年(一六七一)の検地高は一四五石余、田はなく、畑も中畑以下の等級のみで一七三町六反余(「検地帳」県立図書館蔵)。延宝五年(一六七七)には、寛文検地で山畑一六町三反余・山下畑一四一町六反余とされた分の再検地が行われて山畑一〇町一反余・苅立畑(焼畑)一二四町八反余に改められ、新たに寛文一一年付の検地帳(同館蔵)が作成された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報