早川町
はやかわちよう
面積:三六九・八六平方キロ
南巨摩郡の西端部、富士川の支流早川および早川支流の雨畑川流域に広がる町で、県内の市町村中最大の面積を有する。北は中巨摩郡芦安村、東は増穂町・鰍沢町・中富町・身延町、南と西は標高二〇〇〇から三〇〇〇メートルを超える南アルプスを挟んで静岡市に接する。地質的に本州を東西に分割する糸魚川―静岡構造線(フォッサマグナ)が町内を南北に貫通しており、一部にはその露頭も見られる。町面積の九五パーセント以上が山地で、集落は早川沿いの段丘地や扇状地、山腹の斜面に開かれ、標高二〇〇メートルから九〇〇メートルの間に分布している。これらを結ぶ町内の交通路は早川沿いの主要地方道野呂川―波高島線(南アルプス公園線)と雨畑川沿いの県道大島―雨畑線が中心をなしている。町外との交通では早川に沿って中富町飯富に下る以外に、奈良田から増穂町平林へ、雨畑から静岡市井川へ、新倉の茂倉から鰍沢町十谷へそれぞれ峠を越える道がある。
旧石器時代の遺跡はまだ発見されていないが、縄文時代になると合計一八ヵ所の遺跡が確認され、爆発的な増加をみせる。最も早い時期の遺跡は早期末から前期初頭頃出現し、都川地区では草塩堂向遺跡と保松原遺跡、三里地区では早川居村遺跡や茂倉水ノ窪遺跡がある。前期後半から中期になると、都川・三里の両地区から五箇地区や硯島地区にまで分布は拡大し、当町全体に縄文社会が展開するようになる。代表的な遺跡には前期諸磯期から中期の新道・井戸尻・曾利の各時期にわたって継続的に営まれる早川居村遺跡や、古くから知られている五箇地区の笹走東嶺遺跡および発掘調査によって多数の配石遺構が検出された千須和御料平遺跡などがある。この御料平遺跡では河原石を利用して構築された一四基の組石遺構のほか、集石三基・列石二基、単なる土壙一基が相互に重複しながら検出されている。出土遺物は中期後半を中心に、甕形土器や浅鉢形土器のほか、朱彩が施された鍔付き土器などがある。石器の出土量は多く、打製石斧・磨製石斧・縦形石匙・凹石・石錘・石鏃など多岐に及んでいる。縄文中期後半は当町で遺跡の最も増加する時期であるが、後期になると遺跡数は減少の一途をたどり、やがて後期も後半になると遺跡はまったくみられないようになる。後期前半の遺跡には先の早川居村遺跡や五箇地区の薬袋山岸遺跡などがある。弥生時代の遺跡は都川地区の白石西ノ宮平遺跡と三里地区の早川居村遺跡、茂倉水ノ窪遺跡の三ヵ所で営まれているのみで、縄文期に比べて著しい減少を示す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 
早川〔町〕
はやかわ
山梨県南西部,富士川の支流早川沿いにある町。町域は広いが,大部分は赤石山脈と前山の巨摩山地に囲まれた山岳地帯。 1956年五箇,都川,三里,西山,硯島,本建の6村が合体し町制施行。集落は早川と支流の雨畑川沿いに点在する。中世,近世に金山集落として成立した集落も多く,いずれも隔絶された山村で,上流部の奈良田などでは,第2次世界大戦直後まで焼畑の出作 (でづくり) も行われていた。産業は林業が主体であるが,林業の近代化や電源開発とともに道路も整備され,観光客がふえている。早川上流域にある西山温泉,奈良田温泉は白根三山の登山拠点として知られる。南アルプス国立公園,南アルプス巨摩県立自然公園に属する。面積 369.96km2。人口 1098(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
早川町
(山梨県南巨摩郡早川町)
「日本で最も美しい村」指定の地域遺産。
早川町は、山梨県の南西部に位置する。面積369.86k【m2】。南アルプスの山々に囲まれた、96%を森林が占め山間の町。温泉資源も豊富で、開湯1300年の歴史を有する西山温泉をはじめ、奈良田温泉、湯島の湯、草塩温泉など各地に温泉が点在する
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
Sponserd by 