正徳寺(読み)しようとくじ

日本歴史地名大系 「正徳寺」の解説

正徳寺
しようとくじ

[現在地名]岩泉町中里

下中里しもなかさとにあり、赤岩山と号し曹洞宗で、本尊阿弥陀如来。江戸時代には報恩ほうおん(現盛岡市)の末であった(邦内郷村志)。寺伝によれば、戦国期の初め小国おぐに(現川井村)大梵天だいぼんてん館を築いたとされる甲斐武田氏の一族武田喜八が中里村に移って開拓に従い、菩提寺として建立したという。山号赤岩山は小国大梵天館の別称とも伝える。正保三年(一六四六)報恩寺九世蘭翁嫩芝が中興。「岩手県下閉伊郡志」に「本堂庫裡、亦壮麗なり」とあるが昭和三六年(一九六一)焼失、同四三年に再建した。


正徳寺
しようとくじ

[現在地名]会津坂下町青木

青木あおき集落西部にあり、本現山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。開基は不詳だが伝説では、大同年間(八〇六―八一〇)徳一の開創で聖徳寺と称したという。天文年間(一五三二―五五)岌円が再興して浄土宗に改めた。京都知恩寺(現京都市左京区)第三〇世岌州は一〇歳のとき岌円の弟子として当寺で薙髪した。岌州は当村地頭の生江大膳の子で、幼名を荒五郎といった。岌円は岌州を京都に送って修行させた。その後知恩寺住職となり、百万遍念仏で悪疫を退散させて有名となる。


正徳寺
しようとくじ

[現在地名]五霞村大福田

大福田おおふくだ西北部、利根川南岸に所在。深典山八幡院と称し浄土宗。本尊阿弥陀如来。延元元年(一三三六)新田義貞の開基といわれ、開山は徳誉慶覚。当初は西後さいご寺と称し、現在地のすぐ東にあった。応永元年(一三九四)から寺灯は絶え、廃寺同様となったが、元亀元年(一五七〇)に第六世笈耀が堂宇を再建し、中興した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「正徳寺」の解説

正徳寺

(大阪府大阪市東淀川区)
私が選んだ東淀川100選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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