雪谷村(読み)ゆきたにむら

日本歴史地名大系 「雪谷村」の解説

雪谷村
ゆきたにむら

[現在地名]朝日町雪谷

蛇行しつつ北流する最上川右岸にあり、北東西助巻にしすけのまき村、南は大滝おおたき村。正保郷帳では田方四〇石余・畑方三一石余。慶安二年(一六四九)以降松山藩領。宝暦八年(一七五八)の左沢御領知村高組訳書抜帳(松山町教育委員会蔵)によれば西五百川にしいもがわ一石楢いちこくなら組に属し、高七六石余、家数一一・人数四六。天明七年(一七八七)の松山藩左沢領村々大概書(同委員会蔵)によれば高七六石余、田二町余・畑二町五反余、家数九・人数三八、馬二で、最上川を前にし渡船場があったが、用水溜井に頼る旱損所であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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