霊岳院跡(読み)れいがくいんあと

日本歴史地名大系 「霊岳院跡」の解説

霊岳院跡
れいがくいんあと

[現在地名]中区錦二丁目

「りょうがくいん」ともよばれた(尾張名所図会)。天神社域にあったが明治初年に廃寺。桜花山と号し、曹洞宗万松ばんしよう寺末。境内三二一坪。天神社安置の天神木像を毎年二月二四日から二五日晩にかけて開帳した(寺社志)。初め万松寺境内に天神社を勧請した際、社務をつかさどらせるために創建。開府による万松寺移転後も天神社とともにとどまり社僧となった。開基は清庵宗仙。七世朴巌祖淳は瓦礫舎主人と称し、古瓦の収集家として著名。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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