日本歴史地名大系 「霜山城跡」の解説 霜山城跡しもやまじようあと 和歌山県:橋本市中島村霜山城跡[現在地名]橋本市隅田町中島隅田党の本城といわれる岩倉(いわくら)城の西の丘陵地にある室町時代の城跡。隅田一族の野口氏が居城としたと伝え、野口(のぐち)城ともよばれる。「畠山記」には永禄元年(一五五八)九月に隅田一族番城とみえるが、同一一年畠山秋高を下山(しもやま)城に迎えたとあるので、後に畠山氏の持城となったようである。城跡はほぼ原形をとどめ、雑木林中に東西一四五メートル、南北九八メートル、高さ一八メートルの郭跡が、幅九メートル、深さ三・五メートルの空堀に囲まれて残る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by