青木日出雄(読み)アオキ ヒデオ

20世紀日本人名事典 「青木日出雄」の解説

青木 日出雄
アオキ ヒデオ

昭和期の航空評論家 航空ジャーナル社代表。



生年
昭和2(1927)年2月8日

没年
昭和63(1988)年6月8日

出生地
北海道旭川市

学歴〔年〕
陸軍航空士官学校(59期)卒,札幌文化専門学院卒

経歴
電気通信省を経て、昭和31年航空自衛隊入隊。アメリカ留学の後、空幕運用課飛行運用幕僚輸送航空団防衛班長、第2航空団防衛班長を経て、41年退官。酣燈社入社、月刊「航空情報」編集長に就任するかたわら、航空・軍事評論家として活躍し、日航ジャンボ機墜落事故、スペースシャトル爆発事故、SDIなどでの評論活動で知られた。49年航空ジャーナル社を設立し、社長。60年甲状腺の全摘手術を受け、社長を辞任。のちテレビに出演した際、「がんで治療中」と発言。63年3月には闘病記「ガンを見すえて生きる」を出版、大きな反響を呼んだ。その一方で航空ジャーナル社は経営が悪化、同年6月8日、事実上倒産した。ほかの著書に「空軍」「ソ連戦闘機の全貌」「戦略兵器」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青木日出雄」の解説

青木日出雄 あおき-ひでお

1927-1988 昭和時代後期の航空評論家。
昭和2年2月8日生まれ。陸軍航空士官学校在学中に終戦。昭和31年航空自衛隊にはいり,第二航空団防衛班長などを歴任し,41年退職。「航空情報」編集長などののち,49年「航空ジャーナル」を創刊,社長兼主筆をつとめた。昭和63年6月8日死去。61歳。北海道出身。著作に「軍用機」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「青木日出雄」の解説

青木 日出雄 (あおき ひでお)

生年月日:1927年2月8日
昭和時代の航空評論家。航空ジャーナル社社長
1988年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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