青野原下新田村
あおのはらしもしんでんむら
桑原田村の東に位置し、南は網引村。もと青野原と称した原野の一部で、下野とよばれ加西・加東両郡村々の入会秣場であった。幕府の新田開発の要請を受けて、享保八年(一七二三)に網引村庄屋高田六郎右衛門政信が代官に願出て下野の開発に着手した(三枝家文書)。開発当初は青野村に対して加西・加東青野原新田または網引新田と称したが、青野原中新田が開発されるに及んで青野原下新田とよばれるようになった。郡境に位置したことから堺新田とも称した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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