兵庫県中南部、播磨(はりま)平野北部に位置する市。1967年(昭和42)北条、加西、泉の3町が合併して市制施行。市名は郡名による。北条鉄道、中国自動車道、国道372号が通じる。市域の中央部は平坦(へいたん)で耕地が開けるが、北部は中国山地の延長部の低山地、南部も低山地である。県下でもっとも早く開けた土地で、多くの旧石器時代の出土品、巨大な前方後円墳の玉丘古墳(国指定史跡)をはじめ200基を超す古墳が残されている。中心の北条は古くから山陽と山陰を結ぶ交通の要地であり、また加西郡の農産物集散地であった。播州織(ばんしゅうおり)などの伝統工業のほか、電機工業が盛んである。1997年(平成9)には加西南産業団地が完成した。満願寺川流域の泉地区はイグサを栽培し播州表(おもて)を産する。7世紀インド僧による開基と伝えられる一乗寺(いちじょうじ)は西国三十三所第26番札所で、国宝の三重塔など文化財が多い。北条にある羅漢(らかん)寺の五百羅漢は約500体の石仏を集める。面積150.98平方キロメートル(境界一部未定)、人口4万2700(2020)。
[二木敏篤]
『『加西市史』全9巻・別巻1(2002~2011・加西市)』
兵庫県中南部,播磨平野のほぼ中央に位置する市。1967年北条,加西,泉の3町が合体,市制。人口4万7993(2010)。市の中心は江戸時代から山陰,山陽を結ぶ交通の要地であった旧北条町で,JR加古川線の粟生から出る北条鉄道の終点である。江戸時代から播州白木綿の産地として知られたが,用水不足のため現在は東隣の西脇市に中心は移った。これに代わって第2次大戦時の疎開工場が戦後三洋電機となり,関連下請企業を含めると市内の工業出荷額の半分近くを占める。市域南部の青野ヶ原は東西2.5km,南北8kmの広大な台地で,明治中期以降陸軍の演習地となり,現在も自衛隊の基地がある。1972年中国自動車道が開通し,大阪への交通が飛躍的に改善された。市内では良質の凝灰岩を産し,石仏が各地にあるが,なかでも北条の五百羅漢が著名である。北条町駅から南東2kmにある県立フラワーセンター(面積40ha)は800種20万株の花を集め,日本一の規模を誇る。
執筆者:小森 星児
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