鞆結庄(読み)ともゆいのしよう

日本歴史地名大系 「鞆結庄」の解説

鞆結庄
ともゆいのしよう

現マキノ町内に比定される青蓮院門跡領庄園。天禄元年(九七〇)五月三日の天台座主良源遺告(廬山寺文書)に鞆結庄とみえ田地六〇町余の所領で、角好子の先祖伝来の所領であったが、判事大属角武連の口入によって比叡山に施入され、良源が藤原師輔の牒を国衙に提出して成立し、冷泉天皇の時代(九六七―九六九)に田地の租税および庄司・庄子六〇人に賦課される雑役を免除され、官省符庄となった。良源の遺言により当庄の地子上分は比叡山法華堂の四季懺法間灯明料と本尊常灯・房舎修理料に充てられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 華頂要略

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む