比叡山(読み)ヒエイザン

デジタル大辞泉 「比叡山」の意味・読み・例文・類語

ひえい‐ざん【比叡山】

京都市と大津市とにまたがる山。二峰からなり、東の大比叡おおひえは標高848メートル、西の四明ヶ岳は839メートル。天台宗延暦寺がある。

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精選版 日本国語大辞典 「比叡山」の意味・読み・例文・類語

ひえい‐ざん【比叡山】

  1. ( 「ひえいさん」とも ) 京都市北東部、滋賀県大津市との境にまたがる山。大比叡(八四八メートル)と四明岳(八三九メートル)から成る。古来の信仰の山で、延暦寺・日吉大社があり繁栄した。現在は史跡・観光地として知られる。叡山。北嶺。天台山。台岳。台嶺。北岳。鷲山。比叡。

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百科事典マイペディア 「比叡山」の意味・わかりやすい解説

比叡山【ひえいざん】

京都府と滋賀県の境にある山。京都市街北東(鬼門)にあたり,王城鎮護のため延暦寺が建てられた。山頂は四明ヶ岳(839m)と大比叡(848m)の2峰に分かれる。東西両斜面は急崖であるが,山頂部はなだらかで琵琶湖や京都市街を見おろす好展望地で,琵琶湖国定公園に属し,東の坂本,西の八瀬からケーブルカーが,また東西両麓からドライブウェーが通じる。山中は鳥類繁殖地(天然記念物)。
→関連項目安居院叡山文庫円教寺戒壇寛永寺京都[市]最澄左京[区]不忍池借景修学院離宮増賀天台宗道元東塔名田荘日蓮仏教平安仏教法然法然上人絵伝本朝法華験記本能寺妙顕寺毛越寺八瀬横川横川関立石寺

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改訂新版 世界大百科事典 「比叡山」の意味・わかりやすい解説

比叡山 (ひえいざん)

京都市の北東にそびえ,京都府と滋賀県にまたがる山。延暦寺があり,日枝(ひえ),叡山,北嶺などとも呼ばれた。大比叡岳(848m)が主峰で,そのすぐ西にある四明岳(838m)と北につらなる釈迦ヶ岳(750m),水井山(794m),三石岳(676m)の5峰を総称してふつう比叡山と呼ぶ。南北約12kmに及ぶ山体の東西両側は急傾斜の断層崖となっているが,山頂部は比較的緩傾斜で,一部平たん面もみられる。山体の大部分は古生層からなるが,南部は花コウ岩のため浸食がすすんで低山化し,ここを京都と近江盆地を結ぶ古い交通路の志賀越,山中越が通っている。

 登山路としては東麓の大津市坂本から延暦寺東塔の根本中堂に至る本坂が最も重要で,京都側からは白川道,雲母坂(きららざか)道などがおもに利用されたが,昭和初年に坂本から根本中堂付近まで,および西麓の京都市左京区八瀬(やせ)から四明岳付近まで,それぞれケーブルカーが敷設されたため,それまでの登山路はすたれた。1958年山中越を経由して根本中堂から四明岳に通じる比叡山ドライブウェーが開通し,山頂一帯は観光・レクリエーション地域に変貌した。さらに66年には64年の琵琶湖大橋の完成にあわせて,根本中堂から横川(よかわ)を経て琵琶湖岸の大津市堅田(かたた)に至る奥比叡ドライブウェーが開通した。琵琶湖八景の一つ〈煙雨--比叡の樹林〉に数えられ,鳥類が豊富で比叡山鳥類繁殖地として天然記念物に指定されている。ほとんど全山が琵琶湖国定公園に属する。

 南部の比叡平(大津市)は花コウ岩からなる標高300~400mの小起伏面で,現在宅地開発がすすめられているが,崖崩れや雨による土壌浸食など防災面での問題が残っている。
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もとは大比叡神,小比叡神をまつる山岳信仰の山であったが,715年(霊亀1)ころ藤原武智麻呂が禅院をたて,その後788年(延暦7)に最澄がこの地を修行の場として一乗止観院を建立して以来,天台宗の本拠地となった。平安京の北東に位置し,鬼門(艮(うしとら))にあたるところから,王城鎮護の山として信仰された。山内は三塔(東塔,西塔,横川)に分かれ,さらに16谷と2別所に区分されて,それぞれ教学や修法を競った。山下の東坂本(大津市坂本)には一山の護法神として日吉大社があり,政所や里坊がおかれて山上生活を支え,京都側の西坂本(修学院付近)や八瀬なども基地として諸院や下級の奉仕者集団が存在した。11世紀後半から中世を通じ,比叡山はその霊威と財力と武力により強大な支配力を誇った。また山上生活を捨てて山下の別所や諸地方に移って宗教活動をする僧も多く,彼らの中から法然,親鸞,日蓮,道元ら中世諸宗派の宗祖も出た。

 1571年(元亀2)織田信長延暦寺焼打で3000坊を数えたといわれる堂塔のすべてを失い,僧も離山した。しかし豊臣秀吉徳川家康の援助で復興に着手し,天海によって諸堂が整備された。江戸時代には5000石の朱印寺領を与えて幕府が保護したものの,昔日の宗教的権威は失われた。明治初年の神仏分離で日吉大社が分離され,一時荒廃したが,現在は天台宗総本山として信仰を集めている。
延暦寺 →日吉大社
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日本歴史地名大系 「比叡山」の解説

比叡山
ひえいざん

湖南で近江と京都を分ける山嶺。この山を山号とする延暦寺が営まれた霊地として知られる。北に連なる比良山地、南に続く長等ながら山・如意によいヶ嶽の間に、最高峰の大比叡おおびえ(大嶽、八四八・三メートル)、その西の四明しめ(八三八・八メートル)、その北に横高よこだか(釈迦ヶ岳、七六七メートル)水井みずい(七九四・一メートル)などがそびえ、東麓には八王子はちおうじ(牛尾山)壺笠つぼかさ山などの山がある。近江と京を結ぶ山越道はこれらの鞍部をぬって、南より山中やまなか(今道越)青山あおやま越・雲母きらら越・八瀬やせ越・仰木おうぎ越などで、このうち雲母越は延暦寺根本中堂より四明岳を経て音羽おとわ川沿いに下る雲母坂となる。延暦寺の三塔十六谷のうち東塔は大比叡の東部を中心に営まれるが、京都側にも広がり、西塔はその北西に、両塔の北方、水井山東方に横川よかわの諸谷が展開する。


比叡山
ひえいざん

北方町の西部に位置する山。標高九一八メートルで、東西に連なる多くの岩峰からなっている。東の可愛えの(七二七・七メートル)行縢むかばき(八二九・九メートル)から比叡山を経て西の矢筈やはず(六五八メートル)丹助たんすけ(八一六メートル)に至る一連の山系は、北に位置する花崗岩体の大崩おおくえ(一六四三・三メートル)を取巻くように花崗斑岩が貫入して環状岩脈を形成している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「比叡山」の意味・わかりやすい解説

比叡山
ひえいざん

京都市と滋賀県大津市との境界をなす山地。北は比良(ひら)山地から続く近江(おうみ)盆地の西側を画する地塁山脈で、琵琶(びわ)湖に面する東斜面と、京都盆地に面する西斜面は、ともに南北に走る断層崖(がい)をなしている。秩父中・古生層で構成されているが、南の大文字(だいもんじ)山との間には花崗(かこう)岩が広く露出している。山頂部には比較的平坦(へいたん)面が残り、東の大比叡(848メートル)と西の四明ヶ岳(しめいがたけ)(838メートル)の二峰に分かれる。山頂からは、東は琵琶湖を隔てて湖東、湖西方面、西は丹波(たんば)高地から京都市内を越えて南山城(みなみやましろ)や大阪方面まで望むことができる。四明ヶ岳には展望台などがある。琵琶湖国定公園の一部で、寺域のため自然状態が良好である。スギ、ヒノキ、モミなどの針葉樹が多く、またキツツキオオルリキビタキクロツグミサンコウチョウなど約80種の鳥が生息し、「比叡山鳥類繁殖地」として国の天然記念物に指定されている。

 比叡山は古くから山岳信仰の対象となり、大山咋神(おおやまくいのかみ)などの山神が祀(まつ)られたといわれるが、785年(延暦4)最澄(さいちょう)(伝教(でんぎょう)大師)が入山して草庵(そうあん)を結んだのが天台宗総本山の延暦寺(えんりゃく)の始まりであり、比叡山は平安京北東の鬼門にあたり、護国鎮護の霊山として今日まで法燈(ほうとう)を伝えている。中世には三千坊と称される堂塔があり、多数の僧兵を擁した。1571年(元亀2)織田信長の焼打ちで一時衰微したが、豊臣(とよとみ)秀吉、徳川家康らによって再興された。

 寺域は東塔(とうとう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三つの地区に分かれ、三塔16谷に点在する堂塔を総称して延暦寺という。中心は老杉に囲まれた東塔の根本中堂(こんぽんちゅうどう)(国宝)で、現在の建物は1642年(寛永19)に家光によって再建されたもの。東塔には根本中堂のほか、大講堂、戒壇(かいだん)院、阿弥陀(あみだ)堂がある。東塔の西にある西塔は人影もまばらな静寂の地。釈迦(しゃか)堂は1595年(文禄4)に秀吉が園城(おんじょう)寺金堂を移築したもので、比叡山最古の鎌倉時代の建造物。西塔にはこのほか常行(じょうぎょう)堂、法華(ほっけ)堂などの堂舎がある。釈迦堂から北へ4キロメートルの峰路(みねみち)とよばれる回峰行者(かいほうぎょうじゃ)のたどる尾根道を進むと奥比叡の横川に達する。横川は慈覚大師円仁(えんにん)によって開かれ、大師信仰の道場とされる幽邃(ゆうすい)の地である。横川中堂は1971年(昭和46)に再建された建物で、浄土思想の祖といわれる恵心僧都(えしんそうず)の住んだ恵心院もある。

 比叡山への交通は、京都市左京区北白川から大津市に向かう山中越から分岐して根本中堂に達する比叡山ドライブウェイがあり、また大津市坂本からケーブルカーが、京都市左京区八瀬(やせ)からケーブルカー、ロープウェーが通じている。さらに根本中堂から横川を経て大津市堅田(かたた)の上仰木(かみおうぎ)で国道161号と結ぶ奥比叡ドライブウェイも開通した。

[織田武雄]

『景山春樹・村山修一著『比叡山』(NHKブックス)』『景山春樹著『比叡山寺』(1978・同朋舎出版)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「比叡山」の意味・わかりやすい解説

比叡山
ひえいざん

叡山,北嶺ともいう。京都市と滋賀県大津市との境にある山。大部分は古生層から成る地塁山地で,山頂は大比叡 (848m) ,四明岳 (839m) の2峰から成る。天台宗総本山延暦寺 (山号比叡山) があり,根本中堂 (国宝) をはじめ,大講堂,戒壇院,釈迦堂,山麓の滋賀院などの百有余の堂や塔がある。山頂には展望台や遊園地があり,西麓の八瀬からロープウェー,東麓の坂本からケーブルカーが通じる。 1958年には比叡山ドライブウェーが開通,66年には奥比叡ドライブウェーがさらに北に延びた。比叡山鳥類繁殖地は天然記念物。一帯は琵琶湖国定公園に属する。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「比叡山」の解説

比叡山
ひえいざん

京都市と滋賀県大津市にまたがる山。標高848m。山上に天台宗総本山延暦寺,東麓に日吉(ひよし)大社がある。最澄が788年(延暦7)に延暦寺の前身の一乗止観院を建立。古くからの山岳信仰の流れをひく日吉(ひえ)神社(現,日吉大社)は,一山の地主神(じぬしがみ)とされた。平安遷都後には王城鎮護の山とされる。延暦寺は,寺門(じもん)(園城寺)の分派後は山門(さんもん)と称され,南都諸寺や南山(高野山)に対しては北嶺(ほくれい)と称される。日吉神社は山王神道の拠点となっていく。1571年(元亀2)の織田信長の延暦寺焼打は全山を壊滅させたが,豊臣秀吉や徳川家康が復興した。

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事典・日本の観光資源 「比叡山」の解説

比叡山

(滋賀県大津市・京都府京都市左京区)
関西自然に親しむ風景100選」指定の観光名所。

比叡山

(滋賀県大津市・京都府京都市左京区)
日本三大霊山」指定の観光名所。

比叡山

(滋賀県大津市・京都府京都市左京区)
七高山」指定の観光名所。

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旺文社日本史事典 三訂版 「比叡山」の解説

比叡山
ひえいざん

京都市北東部と滋賀県との境にある山
山上に延暦寺がある。

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世界大百科事典(旧版)内の比叡山の言及

【延暦寺】より

…滋賀県大津市にある天台宗の総本山。山号は比叡山。山門とも呼ぶ。…

※「比叡山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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