音羽町六丁目(読み)おとわちようろくちようめ

日本歴史地名大系 「音羽町六丁目」の解説

音羽町六丁目
おとわちようろくちようめ

[現在地名]文京区音羽一丁目

音羽町五丁目の南に位置し、南は音羽町七丁目。西は蓮光れんこう寺境内・武家抱屋敷など、東は賄方組屋敷など。町立て以前は関口せきぐち村の耕地であったかと思われる。町屋は長さが南北六〇間余、幅は不同であるが町内往来道幅を除き東西二七間(御府内備考)、小間数は田舎間で一二一間(安永三年小間附町鑑)。文政町方書上では家数六三(家持一六・家守一三・地借二・店借三二)。当町東側の裏通りねずみヶ谷下水向いの南北二〇間余・東西二間余の地を香配地とよぶ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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