須佐木村(読み)すさきむら

日本歴史地名大系 「須佐木村」の解説

須佐木村
すさきむら

[現在地名]黒羽町須佐木

北東から流れる武茂(むも)川中流域にあり、東は雲巌寺(うんがんじ)村、南は大山田上郷(おおやまだかみごう)(現馬頭町)へと続く山間の村。地元では「すさぎ」ともよぶ。天正一八年(一五九〇)大関氏が豊臣秀吉から安堵された所領のうちに「須左木」がみえ、南方(なんぼう)・川上(かわかみ)とともに三一四石九斗五升とある(「黒羽藩領知高書上」宇都宮大学附属図書館蔵)。また同一九年の那須与一郎資景知行目録(那須文書)に「すさき」がみえ「善正寺」とともに四五〇石八斗とある。慶安郷帳では「次佐木村」とみえ、黒羽藩領三五〇石余(田二三四石余・畑一一六石)と那須氏領三九八石余(田二六五石余・畑一三二石余)の二筆がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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