須崎送番所跡(読み)すさきおくりばんしよあと

日本歴史地名大系 「須崎送番所跡」の解説

須崎送番所跡
すさきおくりばんしよあと

[現在地名]須崎市中町二丁目

中村街道に沿った現なか町二丁目の北西隅に置かれた送番所跡。開設は元禄期(一六八八―一七〇四)以前といわれるが不明。

文久元年(一八六一)の須崎郷浦納処取扱地下仕法差出(甲藤氏蔵)によると、当番所には平日は送夫二〇人、伝馬二疋が常駐し、東の戸波へわ(現土佐市)、西の久礼くれ(現高岡郡中土佐町)公文書・官物・役人などを運ぶ業務を行った。番所詰の送夫はいわゆる助郷役で、須崎村を除き、街道に近いいけうち上分かみぶん下郷しもごう下分しもぶんおおごう桑田山そうだやま吾井郷あいのごう神田こうだ押岡おしおか大谷おおたにの一〇ヵ村から出夫していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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