高知県中央部、土佐湾に臨む市。1954年(昭和29)須崎町と浦ノ内、多ノ郷(おおのごう)、吾桑(あそう)、上分(かみぶん)の4村が合併して市制施行。JR土讃(どさん)線、国道56号、197号、494号が通じる。2002年(平成14)には高知自動車道が延長され、須崎東、須崎中央、須崎西の各インターチェンジがある。市域は須崎湾沿岸を中心に展開し、中心市街地の須崎は、新荘(しんじょう)川河口左岸に発達した砂州上にあり、古くは州崎とも記された。中世以来、港として発達、戦国期末には、四万十(しまんと)川上流域の津野山郷、新荘川流域に勢力をもった津野氏の城下集落も形成した。市域の三方は山地で、新荘川や小河川の流域にわずかに平地があり、主として蔬菜(そさい)の施設園芸農業が行われる。山地、丘陵地では小夏などの柑橘(かんきつ)栽培もみられる。ミョウガ栽培は全国有数の販売額となっている。古くから沿岸漁業が盛んであったが、現在は、野見湾を中心とするタイやハマチなどの養殖業に重点が移った。東部の浦ノ内湾(横浪三里(よこなみさんり))の真珠養殖は衰退した。須崎港は水深もあり、土佐湾第一の良港で、重要港湾、貿易港に指定されている。地場産業の石灰工業や練り製品の水産加工のほか、セメント、シリコンウェハー製造工場の進出などもみられる。商業も盛んで、四万十川中・上流域、新荘川流域などを占める高幡(こうばん)広域生活圏の中核地としての発展が期待される。土佐藩砲台跡は国指定史跡。横浪半島にある鳴無神社(おとなしじんじゃ)の本殿、幣殿(へいでん)、拝殿は国の重要文化財。樹齢1300年の「大谷のクス」は国の天然記念物。面積135.34平方キロメートル、人口2万0590(2020)。
[大脇保彦]
『『須崎市史』(1974・須崎市)』
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
高知県中央部の市。1954年市制。人口2万4698(2010)。南部は須崎湾,野見湾,浦ノ内湾が湾入する。東隣の土佐市域にかけて東西に入江の連続する浦ノ内湾は俗に〈横浪三里〉と呼ばれ,風光にめぐまれ,明治期から真珠養殖も行われていたが,現在は野見湾とともにハマチの養殖が盛ん。北部は山地が広がり,中央の蟠蛇森(ばんだがもり)(769m)と東の虚空蔵山(675m)の間を桜川が南流,西からは新荘(しんじよう)川が流れて須崎湾に注ぐ。平安末期にはこの両川流域に京都下鴨神社領の津野荘が成立,中世に一帯を支配した津野氏は須崎に居城した。須崎は古くは〈洲崎〉とも記されたように砂州上に発達,戦国期には市町が形成され,高岡郡の中心地であった。須崎港は津野荘の年貢や後背地の産物の積出港であり,近世には漁業基地であった。水深のある良港で,1965年重要港湾,69年貿易港に指定され,セメント,石灰石などを輸出する。また外材輸入の増加により71年には外材検疫特定港の指定も受けた。JR土讃線が通り,高知自動車道のインターチェンジがある。池ノ内を中心にキュウリなど施設園芸も盛ん。1863年(文久3)土佐藩が須崎海岸に設けた砲台跡は国の史跡。浦ノ内湾に臨む鳴無(おとなし)神社は俗に〈土佐の宮島〉と呼ばれ,社殿は重要文化財。
執筆者:正木 久仁
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