須藤俊通墓(読み)すどうとしみちはか

日本歴史地名大系 「須藤俊通墓」の解説

須藤俊通墓
すどうとしみちはか

[現在地名]東山区粟田口華頂町

「京都府地誌」に「東分木町南側人家ノ後、粟田山崖下ニアリ。石ヲ以テ堆築シ、前ニ長三尺五寸ノ石碑アリ。享保中、其子孫植ル処ト云」とある。俗に山伏塚やまぶしづかともいう。「雍州府志(貞享三年刊)に「須藤刑部俊通ノ墓、在東三条白川橋東南、青蓮院境内、人家後園、斯人、平治元年於六条河原、与源義朝相戦而死、遺骸葬斯処」とするのも、同じ場所をさすのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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