日本歴史地名大系 「頼政塚」の解説 頼政塚よりまさづか 京都府:亀岡市古世村頼政塚[現在地名]亀岡市西つつじヶ丘霧島台旧古世(こせ)村南部の山上に円形の古墳状のものがあり、古くから頼政塚とよばれ、塚上に「従三位源公之墓」と彫られた自然石の碑が立ち(安永八年建立)、碑の裏には亀山藩家老松平新祐の撰した頼政塚の由来が刻まれている。近年この山を削り宅地に造成されたが、塚の分だけ残されている。源頼政は「桑下漫録」所引の「盥魚」や矢の根地蔵縁起によれば、仁平二年(一一五二)天皇を悩ました鵺(ぬえ)を退治した恩賞として当地を拝領、矢代(矢田)庄と称したと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by