頼杏坪役宅(読み)らいきようへいやくたく

日本歴史地名大系 「頼杏坪役宅」の解説

頼杏坪役宅
らいきようへいやくたく

[現在地名]三次市三次町

三次藩時代の藩主の居館のあった旧館内とよばれている所にあり、約一三二平方メートルの単層茅葺家屋(県指定史跡)。儒学者としても著名な頼杏坪(一七五六―一八三四)は名を惟柔、通称万四郎と称し、文化一〇年(一八一三)以来備後北部の三次・恵蘇えそ三上みかみ奴可ぬかの各郡代官を歴任したのち、文政一一年(一八二八)三月郡廻本役兼三次町奉行となり、翌四月家族をあげて三次へ転居した。

役宅には昔東晋の陶侃が広州の刺史であった時に、朝夕一〇〇枚の甓(敷瓦)を運んで他日の労に備えたという故事にちなんで「運甓」の二字を掲げ、運甓居うんぺききよと称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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