願成寺村(読み)がんじようじむら

日本歴史地名大系 「願成寺村」の解説

願成寺村
がんじようじむら

[現在地名]池田町願成寺

宮地みやじ村の南に位置する。永禄四年(一五六一)八月晦日の表紙のある養源禅院銭納下帳(龍徳寺文書)に「三百文 当納 七十九文 五十文 願成寺新次郎」とある。天正一七年(一五八九)一一月二一日付豊臣秀吉の美濃国御蔵入目録(内閣文庫蔵)に願成寺一二九石余とみえる。慶長二年(一九五七)の池田野山年貢割帳(阿子田文書)に村名があり、大津谷おおつだに山への立入人馬数は五人・一五匹となっている。慶長郷帳に記載の願正寺村一三三石余は当村と考えられる。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では松平忠良(大垣藩)領。正保郷帳では尾張藩領で、田九三石余・畑一三三石余、山年貢・山札米合せて四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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