風祭村
かざまつりむら
[現在地名]小田原市風祭
北西は風祭山、南境を早川が流れ、東は板橋村、西は入立田村、北は水尾村と接する。湯本堰が北を流れる。村中を東海道が通り、箱根山中への入口となる。弘安(一二七八―八八)頃に地頭職をめぐって金子康広と長門道教との間に相論が起こり、その訴論人系図(県史二)に「早川庄内風祭郷」とある。永享の乱では「小田原并風祭」が合戦場となった(永享一〇年一〇月一五日「室町幕府管領書状案」県史三)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 