朝日日本歴史人物事典 「飯泉喜内」の解説
飯泉喜内
生年:文化2(1805)
幕末の尊攘派志士。山城国(京都府)の生まれ。名は友輔。江戸に出て浅草蔵前の豪商で手代として働いたのち,旗本のお抱え医師飯泉春堂を婿に迎え,飯泉姓を名乗る。嘉永6(1853)年のペリー来航後,勤王の志を抱いて上京。三条家家士となり,鷹司家諸大夫小林良典,蔵人所衆村井政礼らと交わる。志士間の連絡に当たり,幕府の失政を風刺した『祈の一言』を著した。安政5(1858)年,下田奉行手付書役大沼又三郎の手引でロシア使節宿舎を探索したとの容疑で逮捕。このとき押収された書類は,安政の大獄での志士摘発に多くの情報を提供することになった。翌年橋本左内,頼三樹三郎,吉田松陰らと共に刑死した。
(三井美恵子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報