日本歴史地名大系 「飯福田村」の解説 飯福田村いぶたむら 三重県:松阪市飯福田村[現在地名]松阪市飯福田町後山(うしろやま)に源を発した飯福田川は北流して中村(なかむら)川に合流するが、当地はその谷底で堀坂(ほつさか)山の北西方にある。南は後山村に接している。天正一一年(一五八三)一〇月一〇日付織田信雄朱印状(飯福田寺文書)に「飯富田郷・後山郷、都合百拾五貫文遣之候、全可寺納之状、如件」とみえ、南接する後山郷とともに、飯福田寺に寄進されている。天正一二年三月、信雄は豊臣秀吉方との戦闘に突入したが、右の朱印状はこの複雑な政治局面の最中、飯福田寺を自らの陣営に包摂する目的で発給したものであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by