飽浦村(読み)あくらむら

日本歴史地名大系 「飽浦村」の解説

飽浦村
あくらむら

[現在地名]岡山市飽浦

宮浦みやのうら村の西、北は児島湾に面する。元和三年(一六一七)児島郡物成帳に「あくら村」とあり、加子米五石七斗余とある。寛永備前国絵図では高三一一石余。「備陽記」によると田畠二二町余、家数四九・人数二七六、二端帆から三端帆規模の船二艘を有する。文化年間の「岡山藩領手鑑」によると高三一一石余、直高四四〇石余で蔵入、田一三町九反・畑六町八反余、池六、樋二九、井戸一六、石橋五、家数九二・人数四六〇、寺一(松光院)・社家一、牛一六、石工四、大工・桶屋各一、三反帆より二反帆の船五がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android