館方村
たてがたむら
[現在地名]石下町館方
小貝川西岸に所在。西は小保川村。当村南部から豊田村北部にまたがる地は門の宮とよばれるが、戦国期に成立したと推定される覚(宗任神社蔵)に「門宮村 拾貫文 御年具銭 斗物 廿俵」がみえる。また慶長一三年(一六〇八)の伊奈忠次書状(飯岡家文書)に、
<資料は省略されています>
とあり、慶長年間に飯岡三郎右衛門が「たてかた新田」として開発した。この時三郎右衛門が与えられた一町の土地は一丁田と称し、現在もその名が残っている。
文政一二年(一八二九)の地頭別高調書(稲葉家文書)によると村高二五六石余で、旗本興津健之助・坪内源五郎・小倉主税が八五石余ずつの知行地をもっていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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