館野芳之助(読み)タテノ ヨシノスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「館野芳之助」の解説

館野 芳之助
タテノ ヨシノスケ


肩書
自由党志士

生年月日
万延1年(1860年)

出身地
常陸国(茨城県)

経歴
早くから自由民権を唱え、同志と筑波山上に集まり、自由党本部改革を期して爆弾製造中片手を失う。明治18年大井憲太郎らの朝鮮独立党救援資金収集の途次、茨城県で計画暴露の端を作り、逮捕され大阪で投獄されたが、22年憲法発布で特赦、出獄した。

没年月日
明治24年9月22日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「館野芳之助」の解説

館野芳之助 たての-よしのすけ

1860-1891 明治時代の自由民権運動家。
万延元年生まれ。明治15年小久保喜七らと政治結社武蔵共進会をつくり,翌年自由党に入党。17年加波山(かばさん)事件で捕らえられ,18年大井憲太郎らの朝鮮改革計画(大阪事件)にくわわってふたたび逮捕された。明治24年9月22日死去。32歳。下総(しもうさ)葛飾郡小堤村(茨城県)出身。栃木師範卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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