改訂新版 世界大百科事典 「香宗我部氏」の意味・わかりやすい解説
香宗我部氏 (こうそがべうじ)
土佐国中世の地頭。1193年(建久4)中原秋家が香美郡宗我・深淵両郷(現香南市,旧野市町)の地頭職に任ぜられ下向し,主家一条忠頼の子秋通に譲り,郡名を冠した香宗我部氏を名のったのに始まり,以後戦国末に至る。南北朝動乱に当たっては早くより武家方に属し,ついで守護細川氏の被官となり活躍するが,他方西山氏など庶流を分出,その勢力は物部庄(南国市),大忍(おおさと)庄(香我美町)に及ぶ国人に成長した。しかし1526年(大永6)安芸氏に敗れてより家運衰え,56年(弘治2)親秀は家督秀通を殺し,翌年長宗我部国親の三男親泰を養子とし,長宗我部の一門となった。親泰は土佐統一,四国平定,領国経営においてよく兄元親を補佐し,ことに外交面で重きをなした。戦国期所領は4000貫といわれ,慶長初年におよそ540町,香宗土居を本拠とした。宗家滅亡後その子親和は下総佐倉藩堀田氏に仕え,ここに伝来した香宗我部家伝証文は,土佐中世武家文書の白眉である。
執筆者:秋沢 繁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報