知恵蔵 「香川真司」の解説
香川真司
幼少期にサッカーを始め、マリノFC、神戸NKサッカークラブを経て、12歳で単身神戸を離れ、FCみやぎバルセロナ所属となり、以後仙台で育つ。2006年宮城県黒川高等学校在学中、高校2年生でU-18東北代表に飛び級選出され出場した。同年のセレッソ大阪入団を期に提携先のウィザス高等学校(通信制)へ転校し、卒業。セレッソ大阪入団は高校卒業前の選手としては、Jクラブのユース所属選手の昇格を除くと、史上初のJリーグとのプロ契約であった。
北京五輪日本代表(U-23)に、平成生まれとして初めてのサッカーオリンピック選手として選出(飛び級)され、リーグ戦では35試合の出場で16得点10アシストを記録。
10年にドイツ、ブンデスリーガ1部のボルシア・ドルトムントに完全移籍(育成補償金約4000万円)。同年UEFAヨーロッパリーグでは8試合で4ゴールの成績。国際サッカー連盟(FIFA)発表の「2011年期待の若手13人」に選ばれた。悔しさもバネにできる向上心を持つ努力家で、今後更に伸びる可能性を強く感じさせる。
2011年1月には、アジアカップカタール大会の代表メンバーに選ばれた。アルベルト・ザッケローニ監督から得点力を買われ、背番号はエースナンバーの10番。残念ながら、準決勝(韓国戦)で右足を負傷。戦列を離れ一人帰国した。しかし、その活躍はオーストラリアとの決勝を制したアジアカップ優勝への原動力となった。1月30日「右第5中足骨(右足小指の部位)」の手術、現在国内でリハビリ中。
ボルシア・ドルトムントは2011年期、他チームへの移籍について完全否定している。
(菘(すずな)あつこ フリーランス・ライター / 2011年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報