ドイツ西部,ノルトライン・ウェストファーレン州ルール地帯東端にある都市。人口58万8680(2004)。通商路の交点に位置し,中世より商業が栄えた。13世紀にウェストファーレン唯一の帝国都市となり,ハンザ同盟にも加盟。しかし14世紀後半から市勢は衰えはじめ,商人層の流出が相次いだ。新しい都市成長を開始するのは19世紀中葉に至ってからである。企業家ハルコルトFriedrich Harkort(1793-1880)による鋳鉄場,蒸気機械製造場の設立(1832),石炭縦坑採掘(1840),鉄道開通(1847)等を契機にして石炭・鉄鋼業が急激に発展。第2次大戦で市域の3分の2が破壊されたが,今日では鉄鋼,機械,電機,建材,化学,食品等の多様な工業部門を持つ。主要ビール会社が集中し,北西ドイツにおけるビール醸造業の中心地である。ドルトムント・エムス運河によって水運の要衝でもあり,ウェストファーレン南部を商業圏とする卸売業の中心地である。スポーツ施設が完備していることでも知られ,また1968年には大学が設置された。
執筆者:渡辺 尚
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ドイツ西部、ノルトライン・ウェストファーレン州、ルール工業地帯東部の中心的商工業都市。人口59万8000(2002)。東西、南北両方向の幹線鉄道やアウトバーンが交差する交通の結節点で、ドルトムント・エムス運河沿いの港湾都市でもある。商業では卸売り1300社、仲買い1340社、小売り4900店を数え、五大百貨店をはじめ28の百貨店があるほか、多くの金融機関が集まり、ルール東部地域を商圏とする。ドイツの砂糖取引、ドイツ西北部の小麦取引の中心地でもある。工業では、近年衰えたが製鉄、製鋼があり、そのほか機械、事務機器、ビール、菓子(チョコレート)などの製造業がある。ビール醸造は13世紀から著名で、現在も大手6社の生産量合計はドイツ第1位である。市の面積の49%が公園・緑地で、とくにバラ園をもつウェストファーレン公園は有名。近くに2、3万人を収容するウェストファーレンホール(集会、スポーツ用)、展覧会場や、220メートルのテレビ塔がある。
市は9世紀末スロトマニThrotmaniの名で初めて記録に現れ、その後、東西幹線道路のヘルウェーク(塩の道)に沿う市場商業町として発展した。1220年帝国都市となり、以後、国会も開かれた。またハンザ同盟に加わって交易都市としても活躍し、19世紀中ごろからルール炭田の発展につれて鉱工業都市に成長した。中心部は旧市域で、市壁跡は環状道路となり、旧市域を東西に貫くヘルウェークが歩行者専用の中心商店街をなしている。
[小林 博]
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