マンチェスター(読み)まんちぇすたー(英語表記)Manchester

翻訳|Manchester

デジタル大辞泉 「マンチェスター」の意味・読み・例文・類語

マンチェスター(Manchester)

英国イングランド北西部の工業都市。ランカシャー地方の経済・文化の中心地。中世以来羊毛工業が行われていたが、産業革命を契機に綿工業で飛躍的に発展。19世紀には自由主義・労働運動の中心ともなった。
米国バーモント州南部の町。避暑地として知られ、第16代大統領リンカーンの家族が建てた別荘がある。アウトドアスポーツや、アウトレットストアでのショッピングを目的とする観光客でにぎわう。
米国ニューハンプシャー州南部の都市。ボストンの北西約80キロメートルに位置する。19世紀初頭にメリマック川のダムが建設され、繊維産業で発展。同州最大の都市となった。現在は革製品、自動車部品、電子機器などの工場が立地。

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共同通信ニュース用語解説 「マンチェスター」の解説

マンチェスター

産業革命の中心地として栄えた英国中部の大都市。ロンドンの北西約270キロに位置し、2014年時点の周辺地域を含む人口は約270万人。鉄道発祥の地でもある。ポップスやロックなどの分野で多くのミュージシャンを輩出。マンチェスター・ユナイテッドなどイングランド・プレミアリーグの二つのサッカーチームの活動拠点としても有名。(共同)

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精選版 日本国語大辞典 「マンチェスター」の意味・読み・例文・類語

マンチェスター

  1. ( Manchester ) イギリス、イングランドの北西部にある大商工業都市。一四世紀から羊毛工業が行なわれていたが、産業革命を契機に世界の綿工業地帯の中心として飛躍的に発展した。重化学工業も盛ん。マンチェスター運河により外洋と直接結ばれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マンチェスター」の意味・わかりやすい解説

マンチェスター(イギリス)
まんちぇすたー
Manchester

イギリス、イングランド北西部の大都市。人口39万2819(2001)。1974年に近郊諸都市をあわせた大都市圏自治体グレーター(大)・マンチェスター県が発足し、面積1287平方キロメートル、人口259万4778(1981)を擁したが、86年サッチャー保守党政権により大都市圏自治体機能は廃止された。アーウェル川に臨む内陸部に位置し、西方約50キロメートルには港湾・工業都市リバプールがある。とりわけ産業革命期にランカシャー地方の代表的綿工業都市として発展したが、綿工業が衰えた今日では、綿製品取引および綿布を加工し衣類を製造する工業の地位は低下し、マンチェスター・シップ運河沿いに立地する石油精製、製粉、製鋼、化学、市街地に立地する印刷・製本などの工業の地位が相対的に上昇した。しかし今日マンチェスターのもっとも重要な都市機能は、ロンドンに次ぐイングランド第二の商業、金融、保険、行政、マスコミ、文化の中心都市としての働きであり、これらの機能においては依然としてランカシャーの中心都市である。市街には企業の事務所ビル、『ガーディアン』(旧マンチェスター・ガーディアン)紙を筆頭とするマスコミ各社、マンチェスター大学(1880創立)などの各種高等教育機関と研究所がある。また各種の図書館、博物館、美術館、演劇・歌劇・音楽会の会場、イギリス最大の癌(がん)研究センターを含む充実した大病院などの施設も整っている。

[久保田武]

歴史

ケルト人の集落があったこの地に、紀元後79年に古代ローマ人が砦(とりで)を築いた。5世紀の前半にローマ人は去り、その後に残っていた町も870年に侵入したデーン人によって破壊された。町は半世紀を経て再建されたが、11世紀末につくられた土地台帳「ドゥームズデー・ブック」には、人家もまばらな地域と記されている。その後1330年になって、フランドル(現ベルギー)からきた移民が羊毛工業を始めたことが、この地の産業発展の原因となった。すでに16世紀の前半には「ランカシャーでもっとも活気があり、人口が多い町」と評されている。さらに17世紀の末にはフランスからキャラコ染めの技術が伝えられ、18世紀以降、イギリス木綿工業の中心地として発展した。綿工業の成長にあたっては、気候をはじめとする自然環境の影響も大きく、とくに石炭産地に近かったことは、この地で18世紀の末から産業革命が本格的に展開するうえで重要であった。マンチェスターと近郊のワースリーの炭鉱は、早くも1761年にブリッジウォーター公の運河(ブリッジウォーター運河)で結ばれている。1780年代以降、綿工業の機械化が急速に進み、多くの工場がつくられた。さらに1830年には外港リバプールとの間に鉄道が建設され、この町は世界の綿工業を支配した。この間、マンチェスターは急速に拡大し、19世紀初頭に10万にも達していなかった人口が、1851年には30万を大きく上回った。しかしこの町には1832年まで議員を選出する権利がなく、さらに38年までは自治都市(ミュニシパル・バラmunicipal borough)としての形態をとっていなかったため「国中で最大の村」ともいわれた。

 このように政治や社会の諸制度が経済の急速な変化に十分対応できていなかったという事情もあって、19世紀の前半にはこの町がイギリスの政治運動の一大中心地となった。1819年には議会改革を求める民衆を官憲が襲った「ピータールー事件」が起こり、1830年代後半から46年までは穀物法撤廃運動が強力に展開された。また1821年には自由主義的立場をとるイギリスの代表紙『マンチェスター・ガーディアン』が創刊され、コブデン、ブライトらマンチェスター学派の指導者は19世紀中葉のイギリス政治に大きな影響を与えた。マンチェスターは1847年に主教座都市となり、88年には特別市(カウンティ・バラcounty borough)に昇格したが、19世紀の末以降、イギリス経済における綿工業の地位の相対的低下によって、マンチェスターの影響力も弱まるに至った。

[青木 康]


マンチェスター(アメリカ合衆国)
まんちぇすたー
Manchester

アメリカ合衆国、ニュー・ハンプシャー州南部、メリマック川に臨む同州最大の工業都市。マサチューセッツ州との州境近くに位置する。人口10万7006(2000)。メリマック川にかかるアモスケグ滝の水力を利用した綿織物・毛織物工業が発達し、一時期は「織物業の町」として世界にその名を馳(は)せた。1935年以降は織物業は小規模化され、同時に工業は多様化して、靴などの皮革、繊維、機械、電子機器、電気機器などが盛んである。1722年に入植が始まり、オールド・ハリーズ・タウン、ティングス・タウンの地名を経て1810年現市名に変更、1838年に綿紡績工場が初めて建設され、1846年より市制施行。ニュー・イングランド地方の美しい景観はサマー・リゾートとして人気が高い。独立戦争で活躍した将軍ジョン・スタークゆかりの地としても知られる。

[作野和世]

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改訂新版 世界大百科事典 「マンチェスター」の意味・わかりやすい解説

マンチェスター
Manchester

イギリス,イングランド北西部,グレーター・マンチェスター州(旧,ランカシャーに含まれる)にある港湾・商工業都市で州都。人口43万2400(2003)。ローマ時代にはマンクニウムMancuniumと呼ばれた。東にペナイン山脈,北にロッセンデール森の丘陵をひかえ,南と西にはチェシャー平野が広がる自然の要地に位置し,マージー川の支流アーウェル川をはじめ,メドロック川,アーク川などが合流する。産業革命とともに世界の綿工業の中心として発展してきたが,工場はボールトンBolton,オールダムOldham,ストックポートStockportなど周辺の衛星都市に立地し,マンチェスター自体は原料・製品の取引,金融・保険業,倉庫業などの中枢機能を有する商都としての地位を築いた。第2次大戦後は綿工業は衰退し,この地域の工業中心はリバプールに移りつつあるが,機械,化学,衣類,出版・印刷の諸工業も発達している。

 もとケルト人の集落があり,ローマ人がそれを要塞化した。その後870年にデーン人に破壊されてからは小市場町となっていた。12世紀に地元原料による羊毛工業が成立,1330年に織物技術をもったフランドル地方からの移民が来住して発展した。綿工業のオランダからの導入は16世紀末であり,羊毛工業の中心がヨークシャーに移動するにつれて,17世紀に入ると輸入原料による綿工業の比重が高まった。18世紀後半からは工場制工業が発達し,1789年には初めて蒸気機関を用いた紡績工場が稼働した。産業革命期に世界の綿工業の中心となった立地条件としては,ペナイン山脈から流れる河川による水車動力,蒸気機関に豊富な燃料を供給したランカシャー炭田,港湾都市リバプールとの近接などがあげられる。1761年に開通したイギリス最初の本格的な運河であるブリッジウォーター運河(ワースリー~マンチェスター間)が石炭の輸送を効率化したのをはじめ,原綿の輸送費を軽減したマンチェスター運河(1894)の意義も大きい。1830年には世界初のリバプール・マンチェスター鉄道も開通した。1838年,R.コブデンらの努力により自治都市となり,自由貿易主義を主張したマンチェスター学派が反穀物法同盟などでイギリスの思想,政治をリードした。また1821年にはリベラルな論調で知られる《マンチェスター・ガーディアン》(現在の《ガーディアン》)紙が発刊された。第2次大戦では空襲で大きな被害を受け,戦後は再開発が推進された。マンチェスター運河によってアイリッシュ海と結ばれ,外洋航行船が遡航できるのでマンチェスターは海港としての機能を有し,また多くの鉄道,道路が集中するので交通の結節点ともなっている。1515年創立のグラマー・スクール,1851年にオーエンズ・カレッジとして設立され,E.ラザフォードなどの核物理学者が輩出したマンチェスター大学のほか,古い歴史をもつ公共図書館のチェタム図書館(1653設立),多数の古文書を所蔵するジョン・ライランズ図書館などがあり,教育・文化施設も充実している。
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マンチェスター
Manchester

アメリカ合衆国ニューハンプシャー州南部,ヒルズボロ郡の郡都。人口10万9691(2005)。同州最大の都市で,メリマック川の両岸に市街地が発達する。1722年に定住が始まる。1838年メリマック川にかかるアモスケグ滝の動力を利用した大規模な紡績会社が建設され,46年市制施行。1930年代まで市の経済活動は,この産業に強く依存していた。現在では,綿紡績のほかに,靴,機械,電気・電子製品の工業もある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マンチェスター」の意味・わかりやすい解説

マンチェスター
Manchester

イギリスイングランド中北部,グレーターマンチェスター地域の中心都市。マンチェスター地区を構成する。ロンドンの北西約 270km,アーウェル川,メドロック川,アーク川などの合流点に位置する。産業革命の先駆的都市の一つとして知られ,周辺のソルフォードストックポートオールダムボールトンなどの衛星都市とともにイギリス有数の大商工業地帯を形成している。マンチェスターシップ運河とマージー川によってアイリッシュ海に通じ,外洋船が市まで遡行する。1301年に都市として勅許され,1330年にフランドルから渡来した織物業者たちがこの地を選んだのが大発展の契機で,初めは羊毛産業で栄えたが,17世紀頃から綿織物の生産が盛んとなり,産業革命後は綿工業の中心地として繁栄,「綿の首都」と呼ばれた。今日では繊維工業の中心は市の北方および東方のペナイン山麓の諸都市へ移動し,市はおもに周辺工業地帯の金融,保険,輸送などの中心地として機能している。機械,衣服,化学,染料,製油,食品,プラスチック,電子機器などの重・軽工業も行なわれるが,サービス業に比重が移ってきている。ロンドンに次ぐ新聞界の中心地で,近代図書館発祥の地。1851年に創設されたマンチェスター大学は,特に自然科学部門に優れ,アーネスト・ラザフォード,ニールス・ボーアらを生んだ原子物理学科,世界屈指の電波望遠鏡をもつ宇宙物理学科は国際的に有名。キャッスルフィールド公園には,ローマ時代の砦,初期の運河などが復元されており,大規模な科学産業博物館,交通博物館のほか,マンチェスター市立美術館など多くの美術館があり,観光客も多い。国際会議や国際見本市会場などに使われる大規模なコンベンション施設がある。政治家デービッド・ロイド・ジョージの生地。南郊にマンチェスター国際空港がある。都市面積 116km2。都市人口 43万7000(2004推計)。

マンチェスター(伯)
マンチェスター[はく]
Manchester, Edward Montagu, 2nd Earl of

[生]1602
[没]1671.5.5.
イギリスの貴族,軍人。初代伯ヘンリーの子。 1623年より下院議員になり,清教徒を支持し,王の政策に反対。 42年父の死により襲爵。清教徒革命勃発とともに3代エセックス (伯)の部将となり,O.クロムウェルや T.フェアファックスとともに転戦。 44年クロムウェルから怠慢,無能と非難され,翌年ニュー・モデル軍の成立とともに辞任。共和国成立後は政界を退き,49~51年ケンブリッジ大学学長をつとめたほかは表面に出なかった。王政復古で政界に復帰し,60年枢密顧問官,宮内卿になり,67年からはロイヤル・ソサエティの役員もつとめた。

マンチェスター
Manchester

アメリカ合衆国,ニューハンプシャー州の都市。州のほぼ中央,ボストン北方約 87km,メリマック川のアモスケッグ滝付近に位置する。 1722年頃から白人が植民し,当初はオールドハリーズタウンとも呼ばれた漁業集落であったが,1805年以後,滝の水力を利用して紡績業が発達,10年にイギリスの工業都市にちなんで改名された。 07年ミドルセックス運河を経てボストンに達する運河が完成。 46年市制。綿織物業の中心地に発展したが,1935年以降市場の縮小,外国製品との競合,絹とレーヨンの進出にあい,さらに 36年の洪水,38年のハリケーンの被害を受けて衰退し,代って皮革,ゴム,自動車部品,電気器具,エレクトロニクス工業が立地した。小売業の中心でもある。人口 10万9565(2010)。

マンチェスター
Manchester

アメリカ合衆国,コネティカット州中部の町。 1672年 T.フーカー司教とその仲間が入植,1823年に町となり現在の名称となった。独立以前から製材,製紙工場ができていた。その後ガラス器具,綿織物,絹織物なども生産され,現在は非常に多種類の工場がある。人口5万 1618 (1990) 。

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百科事典マイペディア 「マンチェスター」の意味・わかりやすい解説

マンチェスター

英国,イングランド北西部,グレーター・マンチェスター特別州の中心をなす工業都市。羊毛・リンネル工業が13世紀以来行われたが,産業革命後豊富な水力と石炭,湿潤な気候を基礎に綿紡績の近代工業が発展し英国工業の一大中心となり,〈綿の都市(コットン・ポリス)〉とよばれた。商業・金融の中心でもある。リバプールとの間にマンチェスター運河が通じ(1894年),外洋船も入港,鉄道の要地でもある。近年は斜陽の綿業に代わり金属工業が盛んで,化学,製紙,機械などの工業もある。マンチェスター大学(1851年創立),公共図書館(1852年創立),美術館などがあり文化施設も多い。50万3127人(2011)。
→関連項目アイリッシュ海ストックポートボルトンランカシャー

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旺文社世界史事典 三訂版 「マンチェスター」の解説

マンチェスター
Manchester

イングランド中西部,ランカシャーにある工業都市
ローマ人によって開かれたといわれ,中世末には羊毛工業が行われていたが,産業革命後は木綿工業の中心地となり,人口の急激な増大がみられた。1685年には6000人にすぎなかったものが,1790年に3万人,1880年に39万3700人,1938年に73万3000人に達した。労働運動の一中心であるとともに,1839年には工場経営者のコブデン・ブライトらによって反穀物法同盟が組織され,穀物法撤廃運動の中心地ともなった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マンチェスター」の解説

マンチェスター
Manchester

イギリスのランカシャーにある商工業都市。中世以来繊維工業が行われ,産業革命とともに綿織物工業の中心地として急激に発展したため「コットン・ポリス」と呼ばれた。また自由貿易運動および労働運動の中心ともなった。

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世界大百科事典(旧版)内のマンチェスターの言及

【イギリス】より

…南部のランカシャー・チェシャー平野の土壌,気候は農業に適し,小麦,エンバクの栽培と肉牛,豚の飼育による混合農業または酪農が行われる。この平野にはマンチェスターを核とする大マンチェスターおよびリバプール中心のマージーサイドの両大都市圏が形成されており,前者はかつてランカシャー炭田を背景に綿工業で繁栄したが,その比重は低下しつつある。また後者は臨海部のため,石油化学・造船・製粉などの工業に特色を有している。…

【下水道】より

…当時都市に集中した新しい階級の労働者は,きわめて劣悪な環境で生活していた。マンチェスターでは下水道がないため道路の水はけが悪く,さらに市の中心部では380人の住民に対し便所が一つしかないというありさまで,つねに汚水や汚濁物が道路にあふれていた。市内の河川には染色工場排水,ガス会社排水,皮革工場排水が直接流れ込み,真っ黒に汚染されていた。…

※「マンチェスター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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