香貫郷(読み)かぬきごう

日本歴史地名大系 「香貫郷」の解説

香貫郷
かぬきごう

狩野かの川左岸にある香貫山の西・南麓にあったと思われる中世の郷。上香貫・下香貫を遺称地とし、一帯に比定される。寛元二年(一二四四)二月二九日の年紀がある十八道私記奥書(金沢文庫蔵)に「香貫郷於尺迦堂北僧坊書写了」とある。十八道私記は十八道という真言密教の行法の次第を私的に記したもので、その書写が行われた尺迦堂とは、現在の曹洞宗霊山りようぜん寺にあたると思われる。元徳元年(一三二九)の一二月一九日の定縁書状(本朝月令要分料紙文書)によると、香貫郷の領主は京都の寺院で、現地には政所が置かれ、沙汰人を編成して管理していたようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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